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名古屋エスペラントセンターには戦前に発行された本が大量にあります。それらがいつ、誰から寄贈されたか、今となっては、もはやはっきりしないものが多いのですが、その中には梶弘和(1898~1978)さんの旧蔵書もかなり含まれています。梶さんが日本エスペラント運動に記された巨大な足跡については、『日本エスペラント運動人名事典』などの梶弘和の項に詳しく記録されていますが、同項には、「蔵書は、柴田[皎]を通して、名古屋Eセンターへ」と記載されています。梶さんの没後、柴田さんが預かっておられたものを、同氏の高齢化に伴い、2013年に中山欽司さんを通じてセンターに照会があり、センターが受け入れを決定したというのが経緯です。
蔵書が段ボール20箱ほどに及ぶ膨大な量だったこともあり、残念ながら蔵書は解体され、リストも作成されていません(今後、受け入れに関わった担当者の記憶を確認して、できるだけ復元できればと思います)。今回は、梶さんの蔵書だったと思われる本にはさまっていた写真やハガキなどから、その蔵書について少しばかり書いてみたいと思います。まず、カロチャイとワリャンゲン共著のPlena Gramatiko de Esperanto(Literatura Mondo)について。そこに一枚の写真がはさまっていて、男児を含め4人の男性が写っています。裏面に「梶弘和」と手書きで書かれています。この4人のうち誰が梶さんで、いつ撮影され、あとの3人とどういう関係なのかは不明です。兄弟でしょうか(それにしてはあまり似てないような感じもしますが)。ご遺族に確認すれば判明するかもしれません。また、同書には1936年2月20日の消印のある絵はがきもはさまっていました。満鉄のアジア号に乗車したG.I(?)という人物から「梶剛先生」(剛は旧名)あてに送られたものです。前掲書の発行年が1935年なので、同時期に届いた絵はがきが何かの拍子にはさまったままになったのでしょうか。
それから、梶さんの蔵書であった可能性がある戦前の薄いパンフレットが多数あります。40ページそこそこの薄いもの、中には18ページなどというのもあります。わら半紙のような粗悪な紙質の紙に印刷されていて、マルクス主義関係が多い。SATから出た本もありますが、わけても当時ライプツィッヒにあったEKRELO(Eldon-Kooperativo por Revolucia Esperanto-Literaturo )から出版されたパンフレットが、ざっと見ただけでも30冊ほどあります。スターリンの『十月革命とロシア共産主義者の戦術』だとか、モロトフの『第一次五か年計画の実施について』、『第二次五か年計画について』などというのもある。マクシム・ゴーリキーの『私はいかにして学んだか』などもあります。あとはしかし、私などは聞いたこともない名前の著者、書名が大部分です。
これらは、たまたま1932年ごろに出版されたものが多く、そのなかにrecenzekzemplaroと書いた紙がはさまっていました。書評用にまとめて送られてきたのでしょうか。それにしても、それらがいつ、どういう経路で日本に輸入され、誰がそれを入手したのか、どの程度の部数が日本で流通していたのか、今となってははっきりしません。たまたま手元にあった『カマラード』(日本プロレタリア・エスぺランティスト同盟発行)1932年3月号には、EKRELO発行の書籍の紹介記事があります。しかし、1930年代も半ば以降ともなれば、これらの文献を所持しているだけで身の危険を感じざるを得なかったのではないかと思われますが、梶さんがずっと秘かに所有されていたのでしょうか。
ところで、なぜこれらが梶蔵書だったかと考えられるかというと、そのうちの1冊に1枚のはがきがはさまっていて、それが朝明書房から梶弘和(1898~1978)さんあてのはがきだからです。署名は代表者の福田正男(1912~1988)さんでしょう。朝明書房は戦後、1965年から活動を開始しているので、戦後たまたま送られてきたはがきが何らかの事情で偶然これらの本にはさまっていたのでしょうか。しかし、少なくとも、梶弘和さんがこのはがきを受け取り、それがEKRELO発行の本に紛れ込んだ可能性は高いと思われます。それらが回りまわって名古屋エスペラントセンターにまで辿り着き、私がそれらを手に取って眺めている。書物の運命というものを感じざるを得ません。
というわけで、今回ははなはだ曖昧模糊とした内容になり、申しわけありません。なお、EKRELOの出版物については、日本エスペラント学会(当時)の機関誌『エスペラント』1973年3月号から栗栖継氏が「EKRELOのこと」と題して長期連載されており、それらもを参照しつつ、もう少し整理ができればと思います。