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現在、一時的に猪飼宅の二階に仮置きしている竹中蔵書は、単行本、定期刊行物、その他(ポスター、写真など)に大別されます。単行本はダンボールに分野別に十箱ばかり、定期刊行物もほぼ同量、保存しています。ともにカタログ化はできていません。
かつて竹中さんは自宅に竹中蔵書として看板まで掲げられていただけあって、蔵書の内容を一瞥すれば、どの分野においても、精力的、意識的に収集されたものであることがわかります。
たとえば、辞書でいえば、古書店にまで足を運んだすえ、1906年、日本エスペラント研究会編纂で、育英舎発行の『世界語辞彙』Vortaro de ESPERANTO を購入しています。これは、エス和と和エス、付録としてエス文法の三つが入ったもので、史上初のエス和であり、和エスであります。
さらには、さすがに日本で最初のエス関連書は入手できなかったらしく、人づてにコピー製本で A Short Vocabulary English-Esperanto and Esperanto- English を作成するという徹底ぶりです。
なお、辞書のついでにあげれば、Ŝlosilo de Esperanto が各国版があり、15言語分が収集されています。
貴重な資料は、単行本の中にもあります。一例として、1921年発行の La Lastaj Tagoj de Dro L.L.Zamenhof kaj la Funebra Ceremonio があります。わたしはこの資料の存在すら知りませんでした。表紙から中身まですべてのページに黒枠が施されています。とうぜんながら、たいへん貴重な資料であります。
竹中蔵書をながめていると、さまざまな発見があります。国内(内地)最初のエス語ラジオ講座のテキストと立派なポスター(1927年)の現物を見つけたり、かと思うと、1963年に台湾で編集発行された、小説『西廂記』の注釈付きの日本語対訳つきエス訳版といった変わり種まであります。対訳の日本語はそれが見事な達筆がそのまま版下になっています。こうした資料は、現物を見ることに大きな意味があるでしょう。
なお、竹中さんが図書館の文献からコピーした資料の中に、読売新聞の1888年5月2日に、ボラピュックをはじめとする国際語の事情の記事で、日本での最初のエスペラント言及と考えられる記事です。ところが、従来、このエスペラントに言及した記事は6月2日づけとされているのですが、竹中さんは、コピー脇に5月2日と手書きでコメントされています。いずれが正しいか今後の調査を待たなくてはなりません。
なお、竹中さんは、読売新聞の同年1月3日の付録版の記事もコピーされています。これはボラピュックの文法講座の第一回目であり、この講座が、その後、ボラピュック日本語辞書として発行されました。やはり実物ではありませんが、容易には閲覧できない資料です。
実は、竹中蔵書の半分近くを占める定期刊行物は、中国関係のみならず、東海地区や全世界からの雑誌が集まっていますが、とても貴重な資料に違いありませんが、これについてはいずれ稿を改めたいと思います。
西枇杷島町にあった「竹中ビブリオテーコ」が水害に遭ったのは、2001年1月に竹中治助さんが96歳で亡くなる前の秋の東海豪雨によるものだった。直後、高木美智子さんが駆けつけて、濡れた本などを干したりした。その後 NES とNEC から山田義、猪飼吉計、清水正広の3人が整理に出かけた。
息子さんの竹中燦太郎さんと寺尾浩さんと私が相談したあと、2001年2月 NES と NEC のメンバー有志が引き取り作業をすませた。整理点検のために蟹江町の猪飼吉計宅へ一旦運びこんだ。
燦太郎さん宛に次のような覚書を書いた。
「この文庫には東海地方のエスペラント運動の歴史的資料も多く含まれています。この地方のエスペランティストが今後の運動のために利用させていただき、竹中治助さんの遺志を継ぎたく思います。一旦引き取り、そこで文庫のリストを作ります。名古屋エスペラント会に関する資料は名古屋エスペラント会が優先して保管します。その他の東海地方に関する資料は名古屋エスペラントセンターが優先して保管します。出来たリストは公表します。私的なものがあればそれは返却いたします。」
一時保管場所で大まかな整理をしたとき、名古屋エスペラント会に関する資料は寺尾浩さんに渡った。その後03年9月までに私が猪飼さんと整理を開始、360数冊ほどの表紙を撮影、データベースに載せたが全部ではない。すでに活用した例は、50回東海大会、91回日本大会、2004 Zamenhofa Festo において、猪飼さんの責任で El Popola Ĉinio、戦前のポスター、戦前のエスペラント辞書類などを展示した。
このほど、エスペラントセンターでは広くて明るい部屋が確保できたのを機会に、委員会では竹中さんの本を一次保管場所から移動することが話し合われた。書架の購入も必要だ。運び込んだ上でデータ入力を進めたい。竹中文庫として別の棚に一括して納めるのではなく、センター蔵書と重複するものは適切に処分しスペースを確保する。センターの蔵書として組み入れるのがいいだろう。竹中さんを記念して、少なくとも、この本は竹中さんの蔵書であったことを明記した紙片を見返しに添えるとかゴム印を押すとかしておきたい。バラバラになりやすい機関誌とか雑誌などは簡単に製本するかビニールの袋に入れるか透明フォルダーに収めておきたい。表紙などの破損があれば原型を大きく替えてしまうことのない程度に修理もしておきたい。本の写真撮影は表紙だけを平面撮影するのではなく斜めから撮って厚さも分かる写真データにしたい。本によっては本文のページも撮影してその本の版面を感じることができるようにしたい。データの項目としては本の名前、著者名、発行者名、発行年などを入力しておけばいいだろうか。
分類の方法は「日本十進分類法」を学ぶのもいいかもしれないが、手っ取り早いのはJEIで発行している Katalogo de la Libroservo de JEI に倣ってデータを分類し蔵書を並べていけばいいように思う。JEIに、図書部で分類している方法を問い合わせている。データはセンターのホームページで公開することを目標にしたい。これからの課題になるだろうが、閲覧、貸出、複写、デジタル化などのサービスが出来るまでになればいいが、その利用規定など決めていかねばならないだろう。
話は飛ぶが、個人で持っていたエスペラントの書籍や雑誌や資料は本人が亡くなったあとどのように扱われていくのだろうか。何代も、何百年もエスペラント文化のあかしを継承していくためには、それを確実に管理してゆける団体が必要だ。管理できる資力と人材を備えた団体があれば、保管用の建物とか、土地を提供し委ねようとする人が出るかもしれない。意志と資財と人物。名古屋にはそういう文化を育てる素地はあるのだろうか。
(2004年10月22日から24日にかけて犬山市で開催された第91回日本エスペラント大会 )
鈴木 善彦大会当日になって、センターのPRを兼ね、猪飼が竹中蔵書展を企画し、「水害を乗り越えた竹中蔵書展」と銘打ち、日本で出版されたエスペラント辞書の数々を竹中蔵書から机 1脚で展示した。あわせて東京での世界大会に竹中氏が撮影した写真アルバムも展示した。もう少し早くから準備できればよかったが、ユニークな展示で好評であった。