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『「緑の聖書」から』の表紙をめぐる謎について

本は、本文はもちろんですが、表紙やら挿絵やらからも、それが発行された時代相を読み取ることができます。センターの蔵書でも、棚から取り出して眺めると興味深い図像がたくさんありますので、順次紹介していきたいと思います。今回は、その一例として、センターの蔵書ではなくて、ちょっと看板に偽りありですが、たまたまある本の書評を書いている過程で気がついたことを書いてみます。その本とはイズラエル・レイゼロヴィッチIzrael Lejzerowiczの『「緑の聖書」から』(El la „Verda Biblio”)。第1版が1935年にハンガリーのLiteratura Mondo から刊行され、第2版が1978年にハンガリー・エスペラント協会から刊行されました。現在は2014年に刊行された第4版を入手することができます。エスペラント運動を旧約聖書の文言を借りて風刺したパロディとして、つとに名高い本です。下の写真の左が第1版の、右が第2版の表紙です(第1版は猪飼吉計氏の蔵書を借覧しました)。

左側の表紙では、緑の星(緑かどうかはわかりませんが)の衣装をつけた5人のエスペランチストが手をつないで踊っています。そこへハトがオリーブの枝をくわえて降下しようとしています。ハトもオリーブも平和のシンボルなので、その限りではエスペラントにいかにもふさわしい図柄といえるでしょう。ところが、よく見ると、その踊りは手足がこんがらがって、あんまり調和がとれているようでもない。しかも、それぞれが胸に別々のマークをつけています。右端のはどうやらユダヤを示すダビデの星のようだ。その左はもちろん、ナチスのハーケンクロイツです。真ん中はこれもおなじみ、鎌と槌で、共産主義のシンボルであり、ソヴィエト連邦の国旗にも用いられていました。その左はキリスト教の十字架でしょうか。それぞれの主義を信奉する運動や団体がエスペラントをめぐって右往左往していることを示しているのでしょうか。

というところまではすぐ見当がつくのですが、さて、それでは左端の人物が胸につけているのは何でしょうか。実はこれがよくわからなくて、あちこち尋ねてもなかなかハッキリしなかったのですが、小川博仁さんから、これはフリーメイソンのシンボルではないかというご指摘をいただきました。なるほど、定規とコンパスをかたどったというフリーメイソンのシンボルマークのように見えないでもない。しかし、デフォルメされているのかもしれないが、ちょっと違うような気もする。それに、本文中にフリーメイソンへの少なくとも明示的な言及はないようだし、エスペラント運動と密接な関わりがあったとも聞きません。皆さんはどのようにご覧になりますか。

ハトも地上の混乱を見て、降りかねているようにも見えます。第1版が刊行されたのは冒頭で書いたとおり1935年ですが、これに先立つ1933年にはヒトラーが首相となってナチスが政権を掌握しています。また、ソ連では1934年のキーロフ暗殺を契機として党内のスターリン反対派の弾圧が始まり、やがて1937~38年の大粛清に至ります。そして1939年にはドイツがポーランドに侵入して第二次世界大戦が始まるでしょう。そうした危機的な時勢にあって、エスペラント運動も分裂し、激しい対立があった。そのことをこの表紙は諧謔とともに表現しているように見えます。なお、この挿絵を描いたR.LavalというのはRaymond Laval (1900~1996) かと思われます。第2版の表紙についても書きたいところですが、すでに長くなりすぎたので、今回はこのへんで

追記

  1. 本書の書評は、La Movado 2017年8月号に掲載されました。
  2. 本稿を脱稿したあとで、ウルリッヒ・リンスの『危険な言語』を読んでいたら、ナチス時代にエスペラント運動とフリーメイソンとの結びつきが強調されたことが指摘されていました。ナチス時代に書かれた文書には次のように書かれているとのことです。 「ほとんどすべてのエスペラント協会の指導は、ユダヤ人とフリーメイソンの手中にあった」(Urlich Lins“La danĝera lingvo”[Nova, reviziita eldono],UEA, 2016, p113)。あの表紙には、エスペラントとフリーメイソンとを直結するナチスのイデオロギーに対する批判が込められていたのかもしれません。
(文責:伊藤 俊彦)
2017年6月25日、名古屋エスぺラントセンターの Facebookページに掲載した文章を再録