活動史

名古屋エスペラントセンター活動史[1979年]

永瀬義勝、センター独自の事業を続々展開

1978年に続いて、センターの会長になった永瀬義勝はセンター独自の活動をいろいろと行い始めた。これまでは、他の団体の活動に協力することが多く、センターとしては図書販売、図書館的機能、部屋(スペース)を各ロンドが活用することに意義を認めていたが、センターとしての独自の企画を行うようになった。また、東海大会、ザメンホフ祭などは今までは後援の立場が多かったのであるが、この年以降、共催あるいは主催のかたちをとることが多くなるのである。

3月25日(日)に第6回センター総会が熱田青年の家で行われた。会員数は49名、出席13、委任状17であった。1978年度の主な報告事項としては、

などがあり、東海大会の進捗状況について丹羽正久から報告があった。

引き続き、1979年度のセンター委員が以下のように選出された。

また、鈴木善彦は名古屋市役所エスペラント同好会の活動を主に行いたいとの理由から委員にはならなかった。この名古屋市役所エスペラント同好会は13名の会員を擁し、1978年8月に森田明を会長に発足し、4年間ほど活動を行っている。

永瀬の構想としては、一般市民に開かれた公開講演会等を積極的に行うとともに、エスペラント以外の団体と協力して様々な事業を行うことによって、エスペランティストでない市民に対し、間接的にエスペラントの認知度・有用性を高めたいとの考えであった。また、来名外国人の歓迎会等をセンターとして行うことにより、独自色を出すことができ、この地方のエスペラント運動をセンターがリードしたいとの思いがあった。この永瀬路線がしばらく続くことにより、センターの性格が形作られるのである。

名古屋エスペラントセンター主催の企画

3月17日(土)公開講演会

公開講演会「広義のアダルタレーション」の演題で講演会を行った。内容は、食品添加物の安全性についてである。講師は貿易食品コンサルタントの磯部昌策氏。夕方6時から8時まで愛知県青年会館で、参加費300円(資料配布)で開催した。

初め30分は通訳付でエスペラント語で講演し、あとは日本語で行われた。後援団体は名古屋市食品衛生監視員若手会及び名古屋エスペラント会であった。世話役は名古屋市役所エスペラント同好会会員で天白保健所勤務の馬渕亜吉、鈴木善彦の両名である。

 

7月10日 Z.メッツ(ユーゴスラビア)歓迎会

会場は会員の尾崎さんの職場でもある伏見グリーンホテルで行われた。参加者は23名。安藤裕治の司会で、スライドによるユーゴの紹介と人形劇の8mm映画上映が行われた。

なお、Z.メッツは13日には黄金中学校のEクラブを訪問するとともに、同日の夜、名古屋市役所会議室にて名古屋市職員E同好会企画の「ユーゴを知る会」に出席している。

7月15日 公開講演会

 

メッツセンター主催で人形劇団むすび座において「’78国際人形劇フェスティバルの8mm映画を見る会」が行われた。後援は愛知県人形劇協会及び東海E連盟であった。

司会は木村英憲、通訳は早稲田みかに依頼した。参加者は39名でエスペランティストが20名、劇団関係者が19名であった。講演内容はメッツ女史による8mm映画を使った人形劇活動の紹介とむすび座の丹下氏によるユーゴのシベニークでの活動紹介であった。この企画は人形劇活動をしている木村英憲がプロ人形劇団むすび座や愛知県人形劇協会への橋渡しを行い、実現したものである。
(写真:前列左から丹下、メッツ、みかの各氏)

9月22-24日 センター合宿

センター合宿第7回センター合宿を岐阜こだま荘で行った。参加者は23名。講師は外部講師として昨年も依頼したT.ライアン氏と中山欽司氏、内部講師として丹羽正久、永瀬義勝の計4人。

進行役(司会)は安藤裕治であった。学力向上を目指し、酒類を一切絶った合宿であったが、参加者同士の交流が不足していたのではとの反省もあった。会計収支としてはここ数年ぶりの黒字であった。


11月19日〜2月11日  初等講習会

愛知県中小企業センターで1979年度の市民講習会を行った。参加者は11名。参加費は5,000円(テキスト代別)。講師は安藤裕治と加知輝彦が行い、ピンチヒッターとして永瀬義勝も協力した。テキストは「テクストウヌーア」を使用。

中小企業センターでの講習会終了後はエスペラントセンターにて継続講習会を実施した。昨年までは名古屋エス会(NES)と共催であったが、この年からセンター単独で行うようになった。

なお、NESは春に入門講習会を行い(第1回は4月4日、ライトハウスにて、一般7人、盲人3人参加、6月6日終了)、入門講習会終了後は6月12日よりセンターで継続講習会を行っている。5名参加。

その他1979年度の主な出来事

東海大会

第28回東海エスペラント大会が6月3日に愛知県勤労会館で開催され、51名の参加があった。

主催は東海エスペラント連盟でセンターは後援であった。司会(湯浅)と図書販売活動で支援を行った。

水野連盟会長の開会挨拶で始まり、関西E連盟代表として藤岡収氏のメッセージが披露された。

その後、各ロンド(*名古屋E会、名古屋Eセンター、南山大、名古屋短大、名古屋大、掛川、豊田)の活動報告が行われた。

メイン講演は河合俊郎氏の「英国の香具師」翻訳の苦労についてであった。

その後、竹中、永瀬、藤岡、安藤による図書紹介があり、伊藤浩治の「第27回関西E大会参加報告」、加藤昭子の東海大会の感想発表と続き、NEC会長永瀬の挨拶で閉会となった。

大会終了後は同会館食堂で河合氏の出版祝賀会を兼ねた懇親会を行った。18名参加。

第28回東海エスペラント大会

ザメンホフ祭

12月16日にザメンホフ祭を開催した。東海エスペラント連盟、名古屋エスペラントセンター、東海エスペランチストロンド連合、三者の共催であった。

会場は昨年に続き、名駅西のヒマラヤ会館で、80名の参加があった。司会は鈴木善彦が行った。

La tagioo 斉唱により始まった会は「私の中のザメンホフ」のタイトルで中井、千賀、中山、柘植の各氏が発表し、その後、南山大エスペラント同好会がラジオドラマ「新婚夫婦」を熱演した。

永瀬義勝による歌唱指導の後、名大エス研究会と名市短同好会による紙芝居「悪い狼の生まれ変わり」が行われた。

メイン講演はR.バルドウルソン(RAGNAR Baldursson)氏の「レイキャビックと北京にかかる緑の橋」であり、文化大革命中の中国の様子を生々しく語ってくれた。

Ho, Vivu Verda Stel’ の斉唱で終わった会は内容が盛りだくさんの大変充実した会であった。

ザメンホフ祭の後の会食会は名古屋駅前ロゴスキーにて会費2,500円で行われた。会食会には35名もの参加があった。

ザメンホフ祭

その他センターの日々の活動など

○センターの部屋の利用状況

ハラス氏○10月の毎月曜日には月曜日の会主催でT.ハラス氏(イスラエル)を講師に迎え、ベルリンについて、キブツについて、ヘブライ語についてなど計5回、講演会を行った。東西問題など日本人が日常知りえないエピソードや問題提供があり、参加者から好評であった。司会は鈴木善彦が行った。延べ57名の参加があった。
(写真:ハラス氏を囲んだ夕食会)


○9月16日にセンター会員の小野真理子と伊藤浩治の結婚式が布池カトリック協会で行われた。その後別室で披露宴が行われた。付添いは水野輝義夫妻、司会は鈴木善彦であった。
  式に先立ち、センターから国内向欧文電報を送った。内容は次のようであった、
  NI, CHIUJ MEMBROJ GRATULAS VIN, AMBAU PRO VIA GEEDZIGHO.
  NI ESPERAS KE VIA FAMILIO PROSPERU KUN NIALINGVO. N.E.CENTRO

名古屋を訪れた主な外国人(1979年)

タールマイアー氏 (写真:タールマイアー氏を囲んで、センターにて)

参考

(1979年終わり)

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