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この年、センター設立の発起人の一人であった永瀬義勝がセンターの委員長になった。これまでも、センターの活動にアドバイス等を行っていたものの、表に出ていなかった永瀬が委員長に就任し、センターとして様々な企画を行いたいという永瀬の意見を中心として新たな活動が始まった。
これまでのセンターの活動は主に部屋の利用(活動の拠点の提供:多くのエスペランティストに使ってもらうこと)、とエスペラント図書の提供(図書販売と図書館的機能の充実)を中心に行ってきたのだが、この年以降、センター独自の企画を行うようになるのである。
具体的には市民講習会の充実からから始まり、1年の準備期間を経て、翌年1979年からセンター色を出した企画が動き出すことになる。
1977年度の総会を前に永瀬の発案により、1月28日〜29日、国鉄会館においてセンター委員を中心とした「名古屋のエスペラント運動を考える徹夜討論会」が開催され、14名の参加があった。それは76年の日本大会後マンネリ気味だったこの地方の運動を活性化させようとしたものであった。
3月26日、第5回センター総会が北青年の家にて行われ、各FAKOからの1977年度の報告に続き、1978年度のセンター委員が選出された。
新しいエスペラント運動を目指し、活動を開始し始めたものの、1976年当時の会費収入をピークとして、収入減が続き金銭的にはまったく余裕が無い状態であった。1978年度(’78.3〜’79.2)の収入は、会費収入が351,500円で寄付金等を加えても387,462円であり、支出は404,670円と赤字であり、1977年度の繰越金で息をつなぐ状態であった。こ の赤字傾向は3年続くことになる。
1978年10月には手持ち金が、現金、郵便、銀行を合わせて16,270円となり11月分の部屋代も払えない状態であった。その大きな理由として会員数は49名であったが、会費未納者が22名(122,500円分)と多かったことによる。当時、会員の多くは、各曜日の勉強会に参加しており、担当者がお金を受け取って会計に手渡していたため、センターに来ることの出来ない会員の会費の徴収が出来なかったことなどが大きな原因であった。
*第1回講習会:5月15日から7月31日にかけて、名古屋エスペラントセンター(NEC)と名古屋エスペラント会(NES)の共催で市民講習会を開催した。場所は中小企業センターで毎月曜日、夕方6時半から8時半まで。会費はテキスト(新エスペラント入門講座)代含んで4,800円、講師は森田明であった。7名の参加者がいた。継続講習会には3名参加、1名がセンター維持員になった。
*第2回講習会:市民講習会の開催を強く望んだ委員長の希望により、2回目の講習会を開催した。12月6日(水曜日)から12回(3ヶ月)の予定で、NESとNECの共催で開催。宣伝は1回目と同じように新聞等で呼びかけた。会費はテキスト(エスペラント四週間(2,300円))代別で月2,800円。講師は永瀬義勝で、中小企業センターを主な会場として開催した。参加者は4名であった。
第27回東海エスペラント大会が5月27日〜28日に「岡崎市働く者の山の家」で行われた。参加者は65名、内不在参加者は22名であった。主催は東海エスペラント連盟、後援・協賛として 名古屋エスペラントセンター、東海学生エスペランチストロンド連合、熱田の会が名を連ねた。
司会は鈴木善彦、主催者挨拶は松原言登彦であった。
活動報告は次の団体が行った。名古屋エス会(丹羽)、名古屋Eセンター(永瀬)、豊橋エス会(中山)、岐阜エス会(坪内)、わかくさE会(梶夫人)、名大E研(原口)、南山E研(大野、土居)。
メイン講演はTimothy Ryan 氏による“Kiel vivas juna generacio en USONO?”であった。
70年代半ば以降の大会は連盟主催とは言うものの、実質的に連盟は組織的な機能をはたしておらず、丹羽正久が一人で案内状や報告、名簿の作成、発送を行っていた。1977年までは東海エスペラント連盟(TEL)の単独主催であったものが、この年、1978年からNECの後援・協賛となり、1979年のザメンホフ祭からは共催へと変化し、案内等の仕事をセンターが引き受けることになる。
11月3〜5日に、第6回センター合宿を名古屋市の厚生寮である野間荘(知多郡美浜町)で開催した。内容は次のようであった。
ザメンホフ祭(ZAMENHOFA FESTO 1978)が12月10日に開催された。主催は東海エスペラント連盟で名古屋エスペラントセンター、東海学生エスペランチストロンド連合の後援であった。場所は「ヒマラヤ会館ホール」、参加費は600円で、参加者は不在参加を含め、68名であった。
Jeong Jong-Hyu(韓国)のメイン講演"homaj rajtoj kaj esperanto"の他に、鈴木善彦による報告"partopreninte en la 34a Intenacia Junulara Kongreso"、名大と名市短の学生によるスライド「チロヌップの狐」上映、南山大学の学生による寸劇"Mirinda aĉetaĵo"なども披露され、タギージョ斉唱で始まり、"Ho, vivu verda stel’"の斉唱で終わったザメンホフ祭は非常に多彩な内容であった。
またこのザメンホフ祭はメイン講演のテーマにもあるように国際人権宣言30周年を記念したものであった。
1978年末のセンターの利用状況は次のとおりであった。