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この年はセンター活動に落ち着きが出てきて、日常的な活動の基礎ができた年であった。昨年までは、年度の途中で委員が交代することもままあったが、委員のほとんどが1年を通じて日常業務を地道に行った年となった。
1976年度の委員長である鈴木淳は75年から教師の職についており、仕事が多忙になってきたため、センター委員を辞めることになった。辞めてからも側面的な協力は彼が郷里の千葉県に帰る1979年3月まで続いた。センター委員を辞めるにあたって、図書販売部の借金分(早稲田氏委託分相当)10万円を寄付したため、実質的に、センター取り扱い図書はセンターの財産となり(在庫総額約107万円)、この年から、図書販売部は、全面的に直接各出版元を相手に取引を行うこととなった。
また、4月から市民講習会を開催するなど、それから、しばらく続くことになる市民向け活動が始まったことも特筆できよう。
3月13日に北青年の家で行われたセンター総会で以下のとおり新委員が決まった。
委員長に推された加知輝彦は、センターに来てまだ14ヶ月しかたっていないので、との理由で委員長を固辞した。そのため、総会では委員長が決まらないこともあり、規約を改正し、副委員長職を定め、加知がその職に就くことになった。また、責任を明確化するため、維持費を6ヶ月以上滞納したものは維持員としての資格を失うこととした。
エスペラントの宣伝誌「エスペラントの世界」を名古屋市内の青年の家4、図書館14に寄贈した。また、今池にある書店「ウニタ」で委託販売を実施した。この年「Eの世界」寄贈のために33,000円を支出している。
ISBD(国際標準書誌記述)によるカード化を推進。1977年度末までに、図書数520冊のカード化ほぼ終了。雑誌41点を収集。内継続中は28点となり、この1年で、蔵書数で30、雑誌が6、継続雑誌が8点の増となった。
この地方での大会(東海大会、ザメンホフ祭)以外に、豊中市での関西大会、東京での第64回日本大会にも出張販売を行う。また、学生の合宿でも本の販売を行っている。また、センターでの書籍の販売促進のため、10月より,会員特典として1,000円につき、50円割引を始めた。(現金売りのみ)。
センター通信のほか、VERDA RIVERO(センターの機関誌)を3回発行。
VERDA RIVERO 11 (B5,17P) 3月11日 発行 *1976年度の総括特集
VERDA RIVERO 12 (B5,9P) 6月19日発行 *新委員紹介、部屋の利用状況など
VERDA RIVERO 13 (B5,11P) 11月11日発行 *合宿特集号
これらはすべて、ガリ切り、謄写版印刷である。
センターとしては初めてとなる「市民講習会」を開催した。(下記参照)
4月11日(月)から6月27日まで毎月曜日(夕6:00~8:00)に、愛知県青年会館(第4会議室)にてエスペラント入門講習会を開催した。名古屋エスペラントセンターと名古屋エスペラント会の主催であった。
参加費は3000円(テキスト代1000円別)、講師は森田明(名古屋市立大学助教授)他。参加者は13名であった。
入門講習会終了後の7月、希望者を中心に同青年会館にて継続講習会を行うことになった。講師は永瀬義勝、テキストはLa teksto duaである。8月になると、会場を中小企業センターに移し、講師もセンターで月曜日の勉強会の責任者であった鈴木善彦にかわった。参加者6名。そして9月からは、会場をセンターに移し、センター内部の勉強会の一つとなったのである。
第26回東海エスペラント大会が5月21-22日に岡崎市美合青年の家で行われた。東海エスペラント連盟(TEL)主催で連盟創立25周年記念大会であった。
学生も多数参加し、参加者は82名であった。センターでの勉強会の1つである、人形劇の会による人形劇も披露された。
また、記念大会にちなんで、竹中治助氏の編集による「東海エスペラント連盟25年の歩み前編(1960年まで)」が発行された。
10月8−10日に、第5回センター合宿を、昨年に続き、岡崎市にある衣文観音にて行った。講師は大場(静岡)、坪田幸紀(大阪)、中山欽司(豊橋)、丹羽正久(NEC)、永瀬義勝(NEC)である。参加者は延べ26名であった。恒例の3分間パロラードではエス歴3ヶ月の学生、西本清身が1位となり、賞品NEC図書券を獲得した。
途中、インドからの来訪者の ナス(Nath)夫妻が合宿に参加し、ウパニシャッドの一節を詠じてくれるなど合宿に彩を添えてくれた。
合宿準備委員は加知を委員長に、藤田、山田、倉田、小野、鈴木、永瀬であった。
ザメンホフ祭(ZAMENHOFA FESTO ’77)が12月11日に愛知県青年会館にて開催された。主催は東海エスペラント連盟。参加者は68名。恒例の学生による演劇などが行われた。
記念品として、東海大会に続き、「東海エスペラント連盟25年の歩み後編」 (1961年から1976年)が発行された。この後編には、由比忠之進焼身抗議10周年記念文集がつけられている。名古屋市守山区上段味のAMO AKADEMIOに事務局を置く、東海エスペラント連盟が発行元である。
5月末の時点でのセンターの利用状況は次のとおりであった。
水曜日に行っていた人形劇の練習も、東海大会での発表を区切りに終了した。そのため6月からは鈴木善彦を担当者として水曜日の勉強会が始まった。集まったのが皆、公務員だったので、公務員の会と名付けた。テキストはNova kursolibro de Esp.。
また、しばらく中断していた月曜日も9月から市民講習会の延長で、杉本卓三、加古修一、松井志津子を迎えて、新しく初等講習会が発足した。講師は鈴木善彦。
そのころ、木曜日は Lingvaj Respondoj が終わり、Esperanta Mozaikoの輪読会となっている。
1977年、センターの勉強会も色々形を変えながら、多くの人が利用し、秋以降は毎日開かれている状況であった。
玉岡次郎回顧録センター篇について:(回顧録:1977年3月24日付け)
75年の4月から76年末までセンター通信の発行を担当していた三宅輝聡(ペンネーム玉岡次郎)が大学を卒業するに当たり、センター活動とその周辺をまとめた回顧録を出した。1974〜1976年にかけて、名古屋地方で活動していたエスペランティストの様子が生き生きと描写されている。かなり、揶揄して書いてはいるが、精一杯の好意の表現であったとのことである。その主な内容はセンター通信200号〜210号に掲載されている。(回顧録を見たい方は、担当の鈴木までメールをいただければ折り返し、HPアドレスをお知らせします。)
(1977年終わり)