活動史

名古屋エスペラントセンター活動史[1976年]

頑張る図書販売部:影山実

 

この年は図書販売部(影山実)の動きが目立った年であった。 センターの部屋は、日本大会を迎えることもあり、1月以降も、ほとんど毎日利用されており、活気があったが、センターの固有の事業(情報収集、図書販売など)については、委員が固定しないことや、活動の主体が学生及び大学を卒業して間もない者ばかりのためか、地に足のついた活動が十分できているとはいえない状況であった。

1月の時点でセンターは、鈴木淳(図書販売・機関誌)、三浦伸夫(図書販売、蔵書)、鈴木善彦(総務)、小野真理子(蔵書)、横山善一(機関誌)、山川明美(会計)を始め、玉岡次郎(三宅輝聡)、北沢初子などの学生が仕事を分担していた。1月の委員会に久しぶりに顔を出した、影山実(センターの初代委員長)は、「何のための委員会か?報告事項はきちんとすべきである。センターでの勉強会は総て廃止すべきである。センターは仕事のための場所だ。勉強は自分でするものである。」と苦言を述べた。

4月4日(日)、センターで行われた第3回センター総会で、新役員が決まった。

日本大会招致を強く主張していた三浦が神戸大学に入学したため、名古屋を離れ、センターの活動を危惧していた影山が委員に加わった形となった。分担及び委員名は次のとおりである。

1976年度委員
委員長:鈴木淳
 図書販売:影山実(補助:王) 
 機関紙:前田可一、(補助:玉岡次郎、藤田)
 総務:竹崎睦子(補助:安藤、岡田、松下、片寄)
 渉外:鈴木善彦 
 蔵書:小野真理子(補助:中山、三浦) 
 会計:山川明美

エスペラントの本の展示紹介 久しぶりに委員になった影山は日本大会の関連行事として、「エスペラントの本の展示・紹介」を企画した。その結果が、7月17日から8月19日まで、名古屋市鶴舞中央図書館での「エスペラント出版文化展」の開催となった。主催は第63回エスペラント大会組織委員会、後援として愛知県・愛知県教育委員会・名古屋市・名古屋市教育委員会。ザメンホフの著書を始め、エスペラント文学書など230冊、各国の機関誌類90種、観光パンフレット50種、その他辞書類などを展示した。(写真は展示場の様子)

また、このエスペラント展のために、A5判8ページの解説書「国際語 エスペラント出版文化展」が用意された。内容は、「国際語エスペラント出版文化展によせて」森田明(名古屋市立大学助教授)の序に始まり、「エスペラント出版文化に貢献した人々」を紹介したもので、執筆者は影山実(名古屋エスペラントセンター)である。それは、エスペラント出版文化の歴史をエスペラント発表から第1次大戦までの第一期、第二期を第一次大戦から第二次大戦まで、戦後の第三期に分けてそれぞれの時期に出された著名な出版物や活躍した人々などについて紹介したものである。(「解説書」付録参照)

また、影山は図書販売の売上増を考え、7月20日発行の「CENTRO通信N-RO23」から、毎月の図書売上ランキング(長者番付)を掲載することにした。その号では(5/29-6/27)分、計66,000円 1位:鈴木善彦17,050円、2位:森田明14,600円、3位:影山実10,150円であり、8月発行の「CENTRO通信N-ro24」では(6/27-7/26)分の売上78,180円、1位:影山14,420円、2位:安藤10,930円、3位:竹崎10,700円、4位:梶10,650円となっており、この長者番付は1977年度の終わり(CENTRO通信N-RO41)まで続いた。

11月にはLibrolisto de NECを編集し、配布した(B4判12p)。項目として、Terminaroや Politikoなど16項目に分類し、延べ348冊の本が価格とタイトル名のリストアップとなっている。

国外の出版物についてはまだほとんどを早稲田氏取扱いの本を委託の形で販売しており、毎月の売上から委託分の売上(売上の約半分ほど)を返済していた。8月末の段階で、日本大会で50万円強の売上があったものの、まだ約55万円の借金が残っていた。この年の終わりには早稲田氏から委託本を買い取ってくれるよう要望があり、図書販売の責任者として、影山が個人のポケットマネーで立替、返済をおこなった。

日本大会関連の動き

日本大会及びその一環として第63回日本大会組織委員会名で行った事業等を以下にまとめてみた。この組織委員は委員長を丹羽正久、副委員長を竹中治助、水野輝義、鈴木淳とし、主にセンターの若手及び学生がその活動を担っていた。

1.大会記念品「Por Pli da Kantado」について

por pli da kantado記念品が歌集に決まり、編纂を磯部晶策氏に依頼したことより、歌集の制作事業が始まった。 そのため、制作協力者が集ったわけであるが、磯部氏を除き、素人集団であるため、まず、作詩方法の勉強会からスタートすることになり、1月下旬より、週1回、センターや磯部氏の事務所などに集り、磯部氏を講師に作詩の基本原則やエスペラントへの翻訳の仕方などの講習が始まった。その後、歌集の楽譜書きなどの仕事の協力者も集り、グループ名を「オルキードイ」(名古屋の象徴のシャチorkoの子供達)とした。メンバーとしては、安藤、浅野、山川、加知、片寄、三浦、森田、中山、岡本、鈴木、竹崎である。歌集の内容は磯部氏の訳詩を中心としたスコットランドなどの世界の民謡の他、名古屋から山田義、森田明、丹羽正久、加知輝彦、鈴木善彦、安藤裕治の訳詩が採用された。歌集のタイトルは大会のスローガンPor pli da movadoにひっかけて、「Por pli da kantado」(A5判62p)となった。

歌集は楽譜付きで、各歌の背景等の注釈もつけられ、装丁も含め、すばらしい出来であったが、残念なのは仕上がり後、竹崎が磯部氏の了解を得ず、奥付に記載の地名のNAGOYAを勝手にNAGOJAと一部書き換えるという非常識な行動をとったことである。そのため、最終的には再訂正した紙を貼り付けて記念品として配布することになってしまった。

2.第25回東海エスペラント大会の開催

5月16日(日)、第25回東海大会が名古屋YWCAにて、午後12時半より、日本大会組織委の主催で開催された。由里忠勝氏の講演、朗読コンクール、エス会話や運動問題の分科会、歌唱指導(Ho,vivu verda stel'など)が行われた。司会は安藤裕治、参加者は66名であった。大会終了後、同日の大会に参加した、Uxsink夫妻、Gerge Krizan氏の歓迎会を、22名の参加者を得て、中華料理店にて、会費1500円で行った。

3.エスペラント出版文化展の開催(詳細は上記参照)

7月17日から8月19日まで鶴舞図書館で開催し、毎日50名ほどの観覧者があった。朝日新聞でも取り上げられた。

4.広報活動

8月1日付けの中日新聞の「きょうのいす」に、大会組織委員長の丹羽正久氏の投稿記事が掲載された。「エスペラント名古屋大会によせて」の見出しで、1906年に日本エスペラント協会が設立されて70周年にあたること、日本エスペラント学会が財団法人としての基礎をかためて50周年にあたるなど記念すべき年に、愛知県で第63回日本大会が開かれることなど、エスペラント運動の状況を紹介しつつ、最後は「日本人が『地球家族』の精神に目覚めることを求められている。今こそ、日本のエスペランチストが団結し、広く社会各層の支持を訴えて、もっと強力な普及活動に乗り出すべき時であろう。」と結んでいる。

5.エスペラント1日講習会

8月1日、10時から17時まで、朝日文化センターにてエスペラントの1日講習会を開催した。大会組織委主催。磯部晶策による国際語の話し、森田明の基礎講習、Evelyn Rowe の会話、藤田欣弘らによる歌唱指導などエスペラントを多角的に紹介する内容であった。16名参加。

6.第63回日本エスペラント大会当日

日本エスペラント大会8月21-22日、瀬戸市の愛知県労働者研修センターで日本大会が開かれた。参加者は不在参加95名を含む、468名。開催宣言は安藤裕治。議長団として神戸から駆けつけた三浦伸夫のほか大庭篤夫・中村正美、書記として安子島佐衣子・藤田欣弘を選出。

メイン講演は安部政雄「アラブと日本」、津久井英喜「"エスペラントの世界"と私」。その他、歌唱指導、分科会、公開討論会、雄弁朗読コンクールなどが行われた。

大会では学生及び20代前半の若者(センター関係者)の活動がめだった。受付や本の販売コーナーの担当などを含め、裏方の多くを若者が占めていた。開会式では南山大学の学生を中心に記念歌集の歌の披露を行った。雄弁コンクールでは事前の申し込みがなかったため、急遽、三宅輝聡を中心に名大の学生を参加させ、プログラムに穴があかないようにするなどの配慮がなされた。そのため、活気はあったが、エスペラントのレベルは十分とは言えないコンクールであった。

日本エスペラント大会での青年達その他のプログラムとしては、多彩な分科会を始めとして、アイスランドのエスペラント観光映画上映、国際会議場を利用した日エス同時通訳の公開討論会「エスペラント運動70年」などが行われた。

大会に参加した外国人は8名で、イギリスのEvelyn Rowe、 韓国のチェ・ボンギョル、ポーランドのRiszard Rolka が挨拶を行った。


その他センターの主な活動など

日本大会の開催を中心に動いた年であったが、その他のセンターの動きを以下にのべる。

センター合宿

センター合宿10月9〜11日(土~日)、影山実を準備委員長として第4回センター合宿が、衣文(そぶみ)観音(岡崎市上衣文町)にて行われた。参加費は4,500円(1泊3,000円、1日1,500円)。講師は竹内義一、丹羽正久、三ツ石清、磯部晶策、影山実のそうそうたるメンバーであり、内容は非常に充実していたが、日本大会の疲れもあったのか、参加者は17名と予定より、だいぶ少なかった。そのため、赤字となり、センターから補助金を出すこととなってしまった。合宿では、参加者全員による弁論コンクール(3分)(1~3位に賞品)を行ったり、各クラス途中で講師が変わるなど(2日目の午前)の工夫がなされた。外国人としてアメリカのTottenが台湾女性をつれて参加した。影山以外の準備委員としては鈴木善彦、山田八代子(会計)、小野真理子がいた。

ザメンホフ祭

12月12日、ザメンホフ祭がブラザー栄ビルで開かれた。東海エスペラント連盟、NEC、東海学生ロンド連合の共催で参加者は60名。司会は小松原義雄と酒井富士子。講演は森田明。図書紹介は山田天風、安藤裕治、影山実が行った。また、永瀬義勝のkantogvidoにより日本大会の記念歌集から歌の披露が行われた。ザメンホフ祭

○日本大会の記念歌集を竹崎睦子が勝手に訂正した件について、個人的な行動ではあるが、竹崎がセンターの委員として行ったとの考えであったため、磯部氏に 対してセンターとしての対処を如何にすべきかが委員会(8月29日)で話し合われた。臨時総会を開き、規約を改正し、除名処分を設けるべきだとの意見が多 数を占めたが、竹崎が反省し、委員を辞任した(10月)ため、臨時総会は開かれずに終わった。この除名に関する規約の改正は1983年に行われることにな る。

○センターの部屋の利用については7月の時点では次のようであった。

 
月曜日:(鈴木善彦) 初等講習会   Nova Kursolibro
 火曜日:(丹羽正久) 初級・中級講習 Vage tra dimensio
 水曜日:(閉館、事務整理)
 木曜日:(磯部晶策) 中級・上級   Kien la poezio
 金曜日:(永瀬義勝) 初級・中級   Lingvaj Respondoj
 土曜日:(森田明)  会話教室
 日曜日:午後開館   担当者

11月からは水曜勉強会も始まった。影山実を中心に "Antologio de amoro"を使用。

○この年の8月センターの部屋代が15,000円から18,000円に値上げとなった。

○11月3日、センターの会員であった前田可一、服部愛子が結婚式を挙げた。仲人は丹羽正久氏。センターの会員同士の初めてのカップル誕生であった。

 機関誌「VERDA RIVERO」の主な内容

 
『VERDA RIVERO N-ro7』 1月10日発行 (玉岡次郎)
第3回センター合宿特集
『VERDA RIVERO N-ro8』 3月31日  発行
NEC定期総会議案特集号
『VERDA RIVERO N-ro9』 欠号
『VERDA RIVERO N-ro10』7月に発行 (前田可一)
各委員からの報告、センターの利用状況など。

この年、センター及び名古屋を訪れた外国人

1月9−11日 Klaus Schubert (西ドイツ)
1月24日 Ineke Emmerlkamp(オランダ)
5月  Krizan (カナダ)、  Woessink夫妻(オランダ)
7月  Van Kleef (オランダ)
8月  Evelyn Rowe(イギリス) 
10月 Stawomir Lenczewski(ポーランド)、   Totten夫妻(台湾)
11月 Hans Adranse、Veronika Dirksen(オランダ) 

Evelyn Roweの歓迎会このころ、NES(名古屋エスペラント会)は、水野輝義先生の世話で、千種区にある富士見台公民館で定期的に会合を持っており、名古屋を訪れるエスペランティストの歓迎会もそこで行うことが多かった。写真は富士見台公民館において開催された名古屋エスペラント会によるEvelyn Roweの歓迎会(8月1日)の写真である。

(1976年終わり)



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