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ふだん歌われているエスペラントの聖歌ラ・エスペーロが、ザメンホフの詞によるものであることはエスペランティストで知らないものはいない。ところが、メニル作曲のこのメロディーが、実はラ・エスペーロの最初の曲でも、唯一の曲でもないことはほとんど知られていない。
最初のメロディーは、1891年にスエーデンのアデルスキエルトによって作曲されたものである。したがって、19世紀末から20世紀初頭にかけてエスペラント界で歌われていたラ・エスペーロは、現在の歌ではなく、このアデルスキエルトの曲だった。(楽譜参照)
アデルスキエルトのメロディーはブローニュ・スル・メールでの第一回世界大会の頃まで歌われていたが、大会中に彼の曲と現在のメニルの曲の両方歌われ、今後いずれかを正式に採用しようということになった。アデルスキエルトの曲はこれを期に自然に歌われなくなり、詞の内容に合ったマーチ調のメニルの曲が、エスペラント完全制覇を夢見るエスペランティストたちの心を今日に至るまで一つにしてきた。
なお、エスペラント運動には、聖歌の他に緑星章や緑色が、エスペランティストの心をまとめる道具として欠かせないものとして続いてきているが、こうした形態の原型は、すでにボラピュック運動にも存在した。エスペラント界で最初に結成されたエスペラント会は、会ごとボラピュックから転向したニュールンベルクの国際語会であるし、最初の雑誌ラ・エスペランティストも、この会が母体となって登場したことも思い合わせると、ボラピュック運動からエスペラント運動へという軟着陸をはたした初期の国際語運動家たちの系譜が浮かび上がってくる。
ところで、現在のエスペラント運動は、これまでの完全制覇論(pracelismo/finvenkismo)から、享受論(raumismo)へと次第に重点が移行しつつあり、これはエスペラントの文化の発展の必然であろうが、こうした風潮のなかでは、もはやこれまでのアナクロ的な歌詞やマーチ的な曲調はそぐわないばかりか、新たな世代には反感をもって受け入れられるのではあるまいか。
その意味で、そろそろラ・エスペーロの斉唱そのものの是非を見なおす時期が来ていると言えるかもしれない。
(センター通信 n-ro 219, 2000年8月18日)