通信より

訃報記事より(高杉一郎氏)

三重県立美術館で高杉一郎さんが講演

       
伊藤俊彦

「エロシェンコ氏の像」をめぐる講演会が1984年10月28日(日)三重県立美術館講堂で行われました。主催は三重県立美術館,美術館友の会,三重エスペラント会。

三重県立美術館で中村彜展が開催(1984年10月13日~11月25日)中のこの日に,同美術館長の陰里鉄郎氏が「中村彜の芸術について」と題して講演し,次いで,高杉一郎氏が「作品『エロシェンコ氏の像』をめぐって」と題して講演しました。

名古屋からも多数のエスペランチストが参加し,講演終了後,津駅前のホテルのレストランで高杉夫妻を囲む夕食会を行いました。

Revuo Orienta には事前に講演会の開催に関する記事が掲載されたようです。La Movado にも掲載されたと思いますが,未確認です。なお,センター通信101号(1984年発行)に,講演会に関する三重エスペラント会からの案内が掲載されています。

名古屋エスペラントセンターに関する高杉氏の言及

氏は,雑誌 “Tempo” (1934-1940) の存在を,その刊行当時は知らなかったそうです。「こんど,これを読むことができたのは,名古屋エスペラント・センター出版会が1982年6月になって,全1巻本の “Tempo”復刻版を出版したおかげである。」と述べておられます。(『ひとすじのみどりの小径』p105 リベーロイ社,1997年)

書評等

伊藤俊彦が高杉氏の著書について,次のような書評を書いています。

訃報記事より(野村理兵衛氏)

名古屋エスペラントセンターが1989年に発行したZAMENHOFA EKZEMPLARO(エスペラントの語法と表現の辞典)の著者である野村理兵衛氏(富山県南砺市)は,本年1月13日,老衰のためお亡くなりになりました。享年100歳。通夜は14日,葬儀は15日に行われました。なお,センターからご遺族あてに弔電をお送りしました。

野村氏は,同辞典の刊行により小坂賞,OSIEK賞を受賞されました。小坂賞は,1990年8月に横浜市で行われた第77回日本エスペラント大会で同氏に授与されました。OSIEK賞に関しては,同年11月17日に,名古屋エスペラントセンターのメンバーが富山県城端町(現在は南砺市の一部)に野村理兵衛氏を訪ね,伝達式,祝賀会を行いました。

同年12月16日に愛知県青年会館で名古屋エスペラントセンター主催のザメンホフ祭が行われた際,この伝達式の模様を伊藤,永瀬が報告しました。ザメンホフ祭のプログラムには,伊藤による報告が掲載されました。その報告が,センター通信149号(1991年1月21日発行)に転載されていますので,記録として改めて掲載します。

同辞典の刊行に深く関わった森田明さんによる詳細な回想,記録がいずれ発表されることと期待します。

末筆ながら,野村理兵衛氏のご冥福をお祈りいたします。

OSIEK賞伝達式

伊藤俊彦

まず,野村邸を訪問し,打ち合わせ。その後,会場である公民館を訪れました。門を入ると,伝達式の大きな立て看板が掲げられているのに驚き,さらに会場の中へ入って,これまた大きな横幕が張られているのにまた驚きました。今回の伝達式に寄せる町当局の熱意を感じました。

会場の設営も終り,定刻をやや過ぎた午後5時10分,伊藤の司会により開会。まず,名古屋エスペラントセンター出版会会長の永瀬があいさつしました。

次いで,OSIEK賞の伝達式に移りました。まず,永瀬が,この辞典の実質的な共同の編者というべき立場にあり,今回都合で出席できなかった森田明氏からの長い,力のこもったメッセージを代読しました。その後,町の行事があったにもかかわらず,ご出席いただいた川田哲三町長から賞状を伝達していただきました。

来賓祝辞として,同町長,荒井登志雄教育長,長井立男図書館長の三氏からそれぞれご祝辞をいただきました。その後,今回の受賞を記念して,当出版会の出版物である“tempo”を町に寄贈することになり,永瀬が町長に手渡しました。次いで,地元のエスペラント会を代表して福井工業大学教授の宮本一郎氏からも祝辞をいただきました。次いで,JEI,KLEG,KEAから寄せられた祝電,メッセージを,鈴木がエスペラント文を読み,永瀬が通訳して披露しました。

野村理兵衛氏があいさつに立ち,とうてい口ではいいあらわせぬほどの感激であると謝辞を述べられました。記念品として出版会から同氏にザメンホフ訳の旧約聖書を贈呈することになり,永瀬が手渡しました。最後に,多年にわたり内助の功を尽くされてこられたあや夫人に鈴木から花束を贈呈しました。

引き続き,同じメンバーで近くの料亭金島に移り,祝賀パーティを行いました。ここでは,富山エスペラント会から記念品が贈呈されました。また,野村氏を囲んで,話に花が咲きました。町長も若い頃,野村氏の主催するエスペラントの講習会に参加したことなどが話題になりました。8時30分過ぎ盛会のうちに解散しました。(ザメンホフ祭のしおりより転載)

(センター通信 n-ro 255, 2008年2月25日)


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