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イタリアのフェレンツェで行われた世界エスペラント大会に参加するとともに、その前旅行としてシチリア島の名所旧跡めぐりに妻と共に参加した。中部国際空港から飛行機を乗り継いで島最大の都市パレルモの空港に着いたのは、飛行機の遅れもあって夜中に近かったが、リムジンバスも未だ運行していて、「要注意」といわれたタクシーを使うこともなく無事予約してあったホテルに入った。
翌朝、街の中心から5kmほど離れたところにあるリゾートホテルにタクシーで向かった。当初の案内では、「正午にパレルモ空港集合」となっていたが、出発の2日前になってやっとこのホテルの名前と場所を聞き出し、そこで待つことの諒解を得た。タクシーがそこに着いたときにはすでに数人が集まってきていた。ヨーロッパ各地のほか、オーストラリア、ブラジル、イスラエル、日本などからの22名が、そこを拠点に、観光バスで島内のあちらこちらへ出かけた4泊5日の旅は、暑かったが面白かった。
地中海に浮かぶこの島には、遠くローマ、ギリシャの時代の遺跡があり、キリスト教にイスラムの文化が渾然と交わった世界遺産の数々は、ガイドが流暢なエスペラント語で説明してくれるので、その特徴がよく理解できた。面白かったのは、みんなの質問だ。それぞれ自分の文化を背景に質問するので、お互いに予想外の話題が出て、文化遺産の受け取り方にもお国柄が表れる。そして言葉の壁がないので、その続きがバスの中や食事の時にも交わされて、とても和やかでにぎやかだ。
だれにも中立な共通の言葉のおかげで、すっかり親しくなり、よい道連れができて旅の味わいが一層深まった。これはよかったのだが、ちょっともったいないことには、みんな同じ大会会場に向かうのにパレルモで一旦解散してそれぞれのルートでフィレンツェへ向かうことになっていた。聞くところによると、船旅とか船プラスバスの旅などLKKが提案したが、「遠足費が高くなる」という理由で、現地集合、現地解散ということにUEAが決めたのだそうだ。私たちはピサまで飛行機で、そこから列車でフィレンツェに行った。
翌日(大会初日、土曜日)の午前中は旧市街を見て歩き、午後から受付を済ませた後、ただ一つ予定に入れていた半日遠足でウフィッツィ美術館を見学した。絵画も彫刻も私のような素人にもそのすごさに圧倒される。
会場では、最近の大会やオーストラリアの夏期講習、ヒマラヤ・レンコンティーヂョなどでなじみになった人たちと交歓のエールを交わしたり、10数年、あるいは20年ぶりに再会できた我が家の「客人」とも話が弾んでとても楽しかった。
横浜UKのために会場内に設けられたスタンドに半日詰めたときの訪問者や会場のあちらこちらやホテルで横浜へのお誘いをしながら話した人たちの、横浜UKへの感触は、「もちろん楽しみだ」という声とともに、「遠い」、「暑い」、「旅費、食費が高い」などの理由を挙げて「敬遠したい」という声もかなり聞かれた。
そんな中で、20年ぶりに会えたドイツの旧友は、「数十人の旅行団を募集して参加する計画だ」と言ってくれた。また、フィンランドの人からは、「今年の5月に開通したヘルシンキ、中部国際空港間の直行便を利用して、名古屋入りしてその周辺から横浜までを数日かけて旅する、30名くらいの旅行団を募集する。名古屋周辺のエスペランチストが空港に出迎えてくれたり、一緒に案内してくれるとうれしい」という話も持ちかけられた。「私たちもうれしいが、横浜でのお手伝いもあるので、全部同行して旅行ガイドや通訳を務めることは難しいと思う」と伝えたが、今後の具体化の中で、相談しようということになった。中部空港指定の旅行計画には、東海地方の人たちの協力が必ず必要になるであろう。最近のパスポルタセルボの問い合わせにも、「横浜UKの前後に訪ねたい」という希望も舞い込んできている。
いよいよ「次の大会は横浜」となったので、いろいろな形での協力、活動の場が必要になり、エスペランチストの間にも気持ちを盛り上げていくときになったのである。また、それによって国内にエスペラントが目に触れ、認識される機会にしなければもったいない。みんなが小異を捨ててこの大きな事業のために協力していきたい。もちろん、私も大きな楽しみを与えてくれたエスペラントのために、この機会に出来る限りの協力をするつもりである。
(センター通信 n-ro 249, 2006年9月30日)