通信より

オーストラリア夏期講習(AESK:Aŭstralia Esperanta Somera Kursaro)

黒柳吉隆

昨年に続いて今年もまた、AESKに参加してきました。AESKについては、JEIからPontoliborojの1つとして最近出版されましたので、それを見てください。

今年は、タスマニア島(島とはいえ、北海道よりひとまわり小さいくらいの大きさ)の州都ホバートのタスマニア大学のアパートで行われました。景色も空気もきれいで夏でも涼しく快適な環境です。大学は、市の郊外の丘陵地にあり、普通の市街地(住宅地)と隔てる塀とか門はなく、学生が住むアパート群は丘陵地の一番の高台にあります。10分ほど坂道を下ったところにバス停がありましたが、街まで歩いても半時間ほどです。アパートを夏休み中は夏季講習用に開放しているのです。私たちの他に、韓国から学生50人ほどが1か月の英語研修に来ていましたし、私たちの後には、世界各地から技術研修の人が来ました。

「アパート」とオーストラリアの人たちは呼んでいましたが、トイレとシャワーは共同でも、個室はホテルの部屋に近く、ベッドと机、整理たんすなどが備え付けられ、バスタオルとシーツは2週間の間に3回取替えてくれました。建物の入り口(21時以降施錠)と部屋の鍵(カード)が渡されます。

談話室、会議室、食堂もあり、学習にはその会議室が使われました。食事もおいしく、誰かが、「来たときは人間だったが、帰りには牛になってしまう」と心配していました。学習の間のコーヒータイムには、食堂で飲み物が自由に取れますし、無料の洗濯機、乾燥機もあり、アルコール類さえスーパーで買い込めば、そこで不自由なく生活できます。これが、2回の週末のバス遠足とバンケードも含めて円換算で8万円余りですから、お値打ちです。そこでの学習、生活は昨年と同じようなものですので省きますが、2週間の講習の後、メルボルンの街と郊外で、1週間の生活を楽しみましたので、それを書きましょう。

メルボルン

メルボルン郊外に住むフランチスカさん(パスポルタ・セルボの宿泊提供者)に、「今年は1週間メルボルンに滞在予定」と事前にEメールで連絡しておきました。「講習会の間に相談しましょう」という返事が来ましたので、すべてお任せして出かけました。「1月21日(日)の夕方、メルボルン空港にアイバンさんが迎えに出て、そこで3泊、水曜日にメルボルンのメンバーと懇親会、その後、フランチスカさんの車で一緒に行って4泊。次の日曜日の朝、空港へ送る」という計画を立ててくれました。

予定通り、メルボルン空港に着くとアイバンさんが出迎えてくれました。彼らは奥さんの仕事の関係で、講習を1週間で切り上げて先に帰っていました。途中で、若い看護師のエスタさんを加えて、シティから5キロメートルほど南の海岸の近くの住宅地にあるアイバンさんの邸宅に着くと奥さんのヘダーさんが愛想よく迎えてくれました。心理カウンセラーをしている彼女は、シチリアでも、タスラでもタスマニアでも一緒だったので、もう他人とは思えません。「昨日、我が家に大きなイベントがあったの」と愛犬が4匹の子犬を産んだことを話してくれました。「サリーコはここ、キベはここ」と同行の吉部さんと2階の別々の部屋を1室ずつ充てがわれ、階下のDLKと併せると正に「豪邸」です。

間もなくマルセル、アリーシャ夫妻が来られて、ミニパーティです。マルセルさんとはホバートでお会いしたばかりですが、アリーシャさんとは、2人が我が家に来られてから、実に23年ぶりの再会でした。80歳を越しておられるはずですが、そのかくしゃくとした元気さは少し杖を頼りにすること以外、当時と全く変わりません。親愛の情を込めた抱擁が少々照れくさいのですが、うれしいですね。みんな揃ったところでワインで乾杯です。またいろいろな話で盛り上がりました。

翌日、歩いて10分ほどのところにある停留所の側の売店で、先ず、トラムの1日切符を買って、市内見学です。6.2ドルで、幾度でもトラムやバス、トレーンの区域内を乗れる切符です。ゆっくり走るトラムの車窓からアイバンさんの案内が始まりました。シティでは最初に観光センターに立ち寄り地図をもらい、ここに来れば、日本語も話せるガイドが懇切丁寧に旅行案内をしてくれることを教わる。そこからメルボルン・エス会の会合場所(曜日と時間を決めて定期的に借用している)に寄り部屋を見せてもらい、街を歩き、安くて美味しいレストランを教わる。その後、アイバンさんと別れて、2人であちらこちらを見て歩きました。観光客でにぎわってはいても東京や名古屋ほど肩をぶつける心配がないので、ゆっくりと見学ができました。ガイドブックと地図を頼りに博物館や動物園にも行きました。帰りのトラムは番号で行く先を確かめたのはよかったけれど、1つ前の停留所で降りてしまい、頼りの教会の塔を目指してたどり着きました。夕食をご馳走になってから、まだ明るい海辺へ散歩です。

こうして2日を市内見学に充て、3日目はトレーンで郊外の観光地パッフインビリーへ出かけました。終点のベルグレイヴ駅でこの近くに住むマルセルさんと落ち合いそこから最古の蒸気機関車の旅です。さて、ホームの時刻表で調べてベルグレイヴ行きの列車を待てども来るのは途中駅のボックスヒル行きだけです。「とにかく、そこまで行ってみよう」と次の列車に乗ったのが正解でした。その駅から先が工事中で、次の駅との間をバスで代替輸送していました。そしてそこからベルグレイヴまでまた、トレーンに乗りました。ヘダーさんに借りたケイタイでマルセルさんに電話しました。ベルグレイヴ駅に着くとマルセルさんが待っていてくれました。次の蒸気機関車の発車まで時間がある。そこで10数キロメートル先のレイクサイドまで車で行き、帰りだけ蒸気機関車に乗ることにしました。蒸気機関車は観光客を乗せるとゆっくりと林の中を曲がりくねりながら1時余り走ってベルグレイヴに着きました。鉄橋はカーブしていて観光写真の絵になるところでしたがトンネルはありません。また、マルセルさんが駅で待っていて、駅から3キロメートルほどのところにあるマルセルさんの家に行きました。広い林は、マルセルさんが40年間に植えたいろいろな木が200本以上あるとか、立派な大木もあり、みかんもりんごも、いろいろな果物の木もあります。ここではオーストラリアに無い種類の木がたくさんあるのがご自慢です。

ここでもまた、圧倒されて庭園(というより植物園)見学のあと、ご夫妻と一緒にそのまま車でアイバン、ヘダーさん宅でのバーベキュー・パーティに出かけました。2階のベランダに14人のエスペランティストがテーブルを囲んでにぎやかなパーティでは、時の経つのを忘れました。それが終わりに近づくころに遅い夏の日が沈み、数人が帰りましたが、涼しくなってきたので部屋に移動して歓談は続きました。みんながエスペラント語を母国語のように話せるわけではありませんが、みんなそれを話すのです。お世話になったアイバン、ヘダー家を後に、約40キロメートル東のフランチスカ、ベニー家への移動は、ベニーさん運転のカローラで約1時間、すっかり夜も更けていました。「自分達は2階だから、ここは自由に使って」と通されたのは、30畳ほどの居間と別室の寝室。吉部さんは、私に寝室を譲って、居間の片隅にあるベッドに。

郊外・・・自然の中

それぞれ子育てを終え、離婚したふたりが出合ったのがエスペラントの国際大会の会場とか。フランチスカさんが、フランスから移ってきて共同生活を始め、ベニーさんは自力で2階の寝室とシャワールームを増築したのだそうです。目が覚めたときに起き、好きなことをやり、自由に暮らす。定年後の生活の見本のような生き方です。適当に時計の要らない生活の始まりは、自家製のジャム、蜂蜜、果物もたっぷりの朝食でした。外へ案内されると先ず目に留まったのが果樹園、上の方の実はいつもやってくる野鳥のために残し、下の方は網で覆ってあるいろいろな果樹。そして野菜畑それに加えて、4段積みのミツバチの巣箱が2つ、他の場所にもまだ2つあるそうです。盛んに蜜を運んでいる。枯れ葉を詰めた特製の煙発生器でちょっと働き者たちを驚かせておいて蓋を開けて蜜が一杯詰まって重い箱を1つ取り出して蜜をなめさせてもらいました。甘い香りが口いっぱいに広がる。果樹園の中に遠心分離機などの道具を入れた工房があり、蜂蜜を取るだけでなく、蜂蜜ワインも造るそうです。養蜂はベニーさんの趣味でも、もう玄人の領域にあるようです。ベニーさんが作る人、フランチスカさんが採る人と役割分担で食事の材料は、肉と魚以外は毎度採りたての新鮮な野菜と果物の健康食。

「ちょっと出かけよう」と行く先は、自然の公園、もちろん入場料など取られることもなく、林の中の小路を行くとカモノハシとかカンガルーとかオーストラリアならではの動物が野生のまま観察できるのです。適当にテーブルとベンチがあり、場所によっては、かまどもあるので、材料と薪を持っていってバーベキューもできました。3日間こんな愉快な生活を楽しませてもらって2人は大満足でした。もちろん話す言葉はエスペラント語ですから、講習会以上にこの言葉を使うトレーニングになりました。 すっかりお世話になった上に、早朝、空港まで送っていただき、有意義な3週間を思い出しながら、帰途につきました。エスペラントの楽しみと豊かさを実感する旅でした。

(センター通信 n-ro 251, 2007年2月27日)


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