行事案内・報告

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ザメンホフ祭2005の報告

名古屋エスペラントセンター主催のザメンホフ祭は、2005年12月17日に名古屋芸術創造センターで行われました。今回は、講演者の方にお願いして、講演内容を踏まえて新たに執筆していただきましたので、あいにく当日参加できなかった方も、参加された方も、ぜひご一読ください。

ザメンホフ祭集合写真

Nagoya Zamenhofa festo

Nguyen Thanh Nga

17a decembro 2005 okazis Zamenhofa festo en Nagoya. Mi estis invitita al la festo kun la parolo pri Vjetnama junulara esperanto movado.

Vjetnama junulara movado estis konata post la 2a Azia kongreso en Vjetnamio en 1999. En tiu kongreso, partopreninto eble ne povis forgresi tiujn junajn, ĉarmajn kaj amindajn vizaĵojn. La unua internacia kongreso estis bona sperto por ni, tiamaj komencantoj. Post la kongreso, ni daŭrigis lerni esperanton kun la espero ke pere de esperanto, ni povas kompreni aliajn landojn, aliajn kulturojn kaj amikiĝi kun multaj amikoj. Disvolvigi esperanton en junularo estas malfacila laboro ĉar nun multaj junuloj nur volas lerni popularajn fremdlandajn lingvojn kiel angla, franca... por futura laboro.

Iom post iom, junulaj esperantistoj multiĝis kaj antaŭ 2 jaroj, 2004, VEJO (Vjetnama Esperantista Junulara Organizo) estis organizita. En la klopodo por disvolvigi esperanton en junularo, VEJO volis inviti IJK (Internacia Junulara Kongreso) en Vjetnamio. Se tiu volo realiĝi, mi kredas ke vjetnama junulara movado fariĝos nova forto en la tutmonda esperanto movado.

UK(Vilno2006)における「ザメンホフ通り」について

黒柳 吉隆

大会前遠足の最後に、カウナスに立ち寄った。ザメンホフが若いころに過ごし、杉原千畝がナチに追われた6000人のユダヤ人の命を救った通過ビザを書き続けた街です。この街の「ザメンホフ通り」を歩き、そこにあるリトアニア・エスペラント協会の事務所を訪問し、今では「杉浦記念館」になっている旧領事館も見学しました。日本エスペラント大会(犬山2004)の機会にエスペラント訳をした千畝の伝記をいずれにも寄贈しました。そして大会に参加しましたが、今日の話題は、世界大会の話題の中でも、主に「ザメンホフ通り」です。

「ザメンホフ通り」は、ポーランドのジャーナリストであり、エスペランチストであるドブジンスキさんが、エスペラントの創始者の孫のザレスキー・ザメンホフさんにインタビューした内容を本に著したものです。そして奇跡とも言える運命と幅広い知性を語るこの本はたちまち注目されました。そしてエスペラント語からいろいろな言語に訳されています。日本では、小林司さん、青山徹さん、中村正美さんの呼びかけで68人の「共同翻訳」という形で訳され、2005年の1月に出版されました。

世界大会では、「著者との半時間」というプログラムがあり、本の売店の片隅で20人くらい座れる椅子が用意されていて、最近刊の本の著者が自分の作品を紹介するのが恒例になっています。その一つとして「ザメンホフ通り」がありました。さすがに、立ち見の席ができるほど盛況でした。このときは、著者が自著を紹介するというより、この本がいろいろな言語に訳されている経緯とか苦心談とか今後の出版情報とかの情報交換の場でした。日本語版が最初に紹介され、司会のスポメンカさんが「その経緯を」と会場内を見渡しました。呼びかけ人がその場に居合わせれば、当然その人が説明されることになったのですが、誰も居合わせなかったので、司会者が顔見知りの私の方に振ってきました。68人の一人にすぎない私は戸惑いましたが、覚悟を決めて皆さんの前で、呼びかけの経緯、翻訳の経過、とくに専門語、ポーランドの歴史、地理、言語などの共通理解について説明しました。とくに、大勢の人の共同翻訳が注目され、朝日新聞でも取り上げられてインタビューを受けたことを話しました。突然のことであり、話す能力の限界もあって十分に意を伝えたとは言えませんが、このお陰で、著者のドブさん、ザレスキーさんと固い握手を交わすことができ強い印象を持ちました。

その後、それぞれの言語の翻訳の関係者が紹介しました。現在6カ国語の本がこの会場でも展示しています。今後、更に出版されれば日本語版と交換しながら追加していきます。そして、いろいろな展示会場にも貸し出す用意をしています。


↓ザメンホフ祭2005への案内状
ザメンホフ祭案内状1ザメンホフ祭案内状2

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