トップページ | 本と批評 | 図書部案内 | 通信より | 出版物紹介 | 図書館 |
活動史 | 行事案内・報告 | 講習会・学習会 | 掲示板 | NEC案内 | en Esperanto |
昨日も道に迷ってしまいました。何回も地図を見たのに自分の位置が全然分かるようになりませんでした。もう3ヶ月ぐらい名古屋に住んでいるのに日本人がどうやって町の歩き方を分かるのか私にとってまだまだ謎のようです。私は道の名前を見なければ、どこにいるか全然分かりません。でも、日本には名前の付いた道はあまりありません。
私は二年生の時にエスペラント語の勉強を始めました。私の大学には学生のエスペラント語のクラブがありますが、参加する学生はほんの少しです。そして、私のように参加してもあまり力を尽くさない人もいます。でも、エスペラント語は易しいのにエスペラント語の勉強はそんなに易しくないです。授業は普通に18:30に始まって、20:00に終わります。しかし、20:40まで続く場合もありました。そんなに大変でなさそうですが、私の大学には休憩がありません。名大には各授業の後15分の休憩があって、ランチブレイクもありますね。休む時間がいっぱいあります。でも、ポーランドでは午後8時に学生はもう考えることができないほど疲れています。だから、許してください。
私は日本に来てからというもの、ずっと何かに迷っています。町の道は一つの例にすぎません。生活の道にも迷っています。例えば、ポーランドのパンのようなパンはどこで買えるかとか、どこへ私に合う長いズボンを買いに行くかとか、どうやって日本人の学生と友達になるかとか、ホームシックにならないようにどうすればいいかなど、私には知らないことがたくさんあります。でも、日本人にとっては普通のことは私にとっては面白いです。ご飯(ジャガイモがない)を売っている食堂をはじめ、“いらっしゃいませ”と言う店員や、詳しい車内放送や、話す機械や、若者のファッションや、ラジオの琴のコンサートや、地下鉄で寝ている人など、ポーランドで見たことがないことはいっぱい目につきます。
景色も自分の国とだいぶ違います。だから毎週、週末の旅行はどこにするか迷っています。見たい場所がたくさんありますから。せっかく日本に来たので今まで本にだけ存在する日本はついに実在する国になりました。手紙の友達も本当の人のように感じられるようになりました。
日本が遠い国なのでポーランドに残った家族と友達は私の体験を知りたいと言います。だから、私はどこかへ行って、誰かと会ったら、彼らに何を、どうやって書くか迷っています。下手な書き方のせいで一番面白いところでもすごくつまらなくなる恐れがありますので私はよく考えた後、メールを送ります。
私は日本の生活に慣れられるかどうか分かりませんが、迷っていることそのものも面白いじゃないと思います。日本に来たら、迷わなかったら、たぶんがっかりしたかもしれません。どこも当たり前の生活の道しかなければ、旅行は意味がなかったと考えています。でも、町の道にはもう迷いたくないです。どこへ行っても自分の位置がよく分かった方がいいです。残った人のところへの帰り道を見つけるように。
(センター通信 n-ro 242, 2005年2月7日)
(山口註)筆者は、ポーランドからの名古屋大学留学生で、ザメンホフ祭2004に参加した。