通信より

Rondo SONKISOJ の誕生とその後

長谷川勉

★このグループができたきっかけ

今年 1月の初め、私の古くからの友人で、センター維持員でもある小川一夫さんから、Eメールで次のような連絡を受け取った。 韓国から主婦を中心としたエスペランチストが、金沢を経由して名古屋に数人来る。扶桑の私の家にも泊めてくれないか、ということだった。

こちらにいる期間は月曜から金曜日で、すべて平日なので、昼は仕事のため私はお相手できないが、泊めることはできます。良かったら、何人かを私の家に泊めますと、返事を書いて送っておいた。

小川さんが、昼間はすべてお相手をしてくれるということでしたが、わが家に4泊もするのに、ただ単に泊めるだけでは、なんとなく申し訳ないと思い、プラスアルファを計画することにした。

その1つに近所に住む知り合いの主婦たちに呼びかけて、主婦どうしの国際交流の会をもとう。具体的には、わが家に来る韓国のエスぺランチストたちと、近所の主婦たちをわが家に招き入れ、お茶でも飲みながら、おしゃべりをしてもらう。通訳として小川さんと私が間に入ろう。という計画でした。

近所の主婦を集めるため、私は、幼なじみであり、最近グループでいっしょに登山に行くようになった女性に頼んだ。

韓国からは主婦4人と、1人の中学生(男)がやって来た。近所の主婦は4人やって来た。このような国際交流会を持つのは初めてだったので、うまくいくかどうか、かなり不安でした。お互いの自己紹介から始まり、予想以上の盛り上がりがあり、2時間ほどの短い国際交流会は無事終了しました。

これで終わっても良かったのですが、日本の主婦たちの交流会に対する感想が良かったので、私は幼なじみの女性に、「通訳なしで、エスペラントで直接話し合うともっと楽しいし、感激するよ。タダでエスペラントを教えますから、他の主婦たちといっしょに勉強しませんか?」と声をかけました。

★そしてエスペラント勉強会がはじまる

交流会に参加した日本側の主婦が4人だったので、この中の2,3人がエスペラントを勉強してくれたらいいなぁ、と私は思っていました。そして、エスペラントの概要を紹介するための第1回の勉強会を2月11日にわが家で開いた。

集まったのは主婦9名。私の予想をはるかに越え、うれしい悲鳴をあげる状態でした。 これだけの人を集める力は私にはありません。幼なじみの女性の力によるものです。多くは彼女の友達でした。第1回の勉強会を終えると、8名の主婦がエスペラントの勉強を続けるという返事をしてくれました。

そして勉強会を開くための会場も見つけてくれて、事務手続きもしてくれました。

★勉強会の会場と日時

愛知県丹羽郡扶桑町高雄にある公共の施設「高雄西学習等供用施設」
原則として、毎月第2金曜日と第4金曜日の7時 30分〜 9時
ゆっくりしたペースですが、参加者の全員が主婦以外の仕事を持っており、この程度しか集まれないということでした。

★そしてグループの名前は

勉強会の会場の申し込みは、「エスペラント研究会」
エスペラント界の中では、「 Rondo SONKISOJ」(ロンド ソンキーソイ)と名づけました。 SONKISOJ の8文字は、勉強会の参加者 8名のイニシャルからとったものです。扶桑エスペラント会としなかった 1つの理由は、参加者の 1人が隣の犬山市の住人だからです。

★テキストは

主教材として、藤巻謙一著「はじめてのエスペラント」
副教材として、竹内義一著「エスペラント会話教室」

★そして現在( 2000年 11月)

参加者は( gvidantoをのぞくと) 6名。 国際文通をはじめようと、準備しているところです。 テキスト「はじめてのエスペラント」は第 9章前置詞を勉強しているところです。

(センター通信 n-ro 222, 2002年12月8日)


→Rondo SONKISOJ のホームページ
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