通信より

ランさんとの交流会の報告

清水正弘

去る10月22日(日)、岐阜県恵那市で、ベトナム人エスペランチスト、ゴク・ラン(Ngoc Lan)さんを囲んで、チャンブロ・チャルマのメンバーを中心に、交流会が行われた。ランさんは熊本での日本E大会に参加後、東上途中で、恵那の斎木さん宅に3泊、豊田の黒柳さん宅に1泊したそうだ。参加者はランさんと斎木夫妻の他に、チャンブロ・チャルマから5名、隣接都市から1名の、計9名であった。

当日の客としては、私が最初に到着した。私が斎木さん宅に着くと、“Ĉu alvenis iu esperantisto?”という声が聞こえ、ランさんが現われた。それから、堰を切ったように、写真を見せながら、ご自分の家族や、盲人にエスペラントを教えている様子などを話してくれた。母国ではkrokodilojばかりで、Eで話す機会が少ないそうで、Eで話せるのを享受しているかのようだった。私がフランス語ができる事を知らされると、ちょこちょこっとフランス語でやりとりし、現在ラジオ講座で『レ・ミゼラブル』を読んでいると言うと、大変喜んでくれた。彼女は2年間のフランス留学経験があり、68歳になられる現在まで、34年間英語とフランス語の教師をしておられるそうだ。

午前中にもう1名参加者が現われ、5名で恵那峡近辺を散策した。少し葉が色づき始めていたので、ベトナムにも紅葉があるのかと尋ねると、葉がしおれて落ちるのみで、紅葉という現象はないという答え。普段都会で生活している私は、実はこの機会に、森に囲まれてみたかったのだが、午後の予定も迫っていたので、そんなに深い森には入り込めず、観光地然とした店の並ぶ路地を歩くのが精一杯だった。それでも、坂道には、茶色の小さなカマキリが歩いていたり、団栗がコロコロ転がり落ちていたりと、私にとっては稀な光景だった。

散策後、斎木さん宅に戻り、すぐ近くの自治会集会所で、近所の方たちとの交流会の準備。この頃から、残りの参加者4名が続々と現れた。近隣からそこに参加したネ・エスペランチストは、主婦1名のみだった。彼女の質問を中心に進められ、ベトナム戦争時のダイオキシン枯葉剤の影響で、子や孫にまで身体に障害のある人(特に盲人)が多いとのこと。これで、ランさんが盲人にEを教えたり、斎木彰さんがJABEに関わっている背景が呑み込めた。その他、ベトナムの民族衣装アオザイの話(中等学校の女生徒は、週2回制服として、アオザイの着用を義務づけられている)など。

午後3時頃より、斎木さん宅の横、栗畑が西に広がる所で、バーベキュー・パーティーをした。みんな楽しそうだった。斎木昌代さんが、もてなしに追われて、他の人たちから、“Ankaŭ vi manĝu!”などと、しきりに言われていた。五平餅・肉・魚(アユ)・人参・玉ねぎ・シイタケ・レタス・キュウリ・ビール・ワイン・豚汁等、充分すぎるほどのご馳走だった。私は、長ーいtondiloで、斎木さんの柿の木から、最も赤い実を、予め「盗み」取っておき、最後に食べた。バーベキュー・パーティーの後、サロンで、歌を歌ったり、語らったりした。お手製のアイスクリームも頂いた。コメンツァントやドゥオンコメンツァントには、話の意味もよく分からず、果たして楽しいだろうかと心配していたが、帰りの列車の中で、彼らに聞いてみたら、それなりに楽しめた様子だったので、安心した。

それにしても、暑くも寒くもない秋の良き日に、出会いと友情の素晴らしい時を過ごさせてもらった。企画ともてなしをして頂いた斎木ご夫妻に、心から感謝申し上げる。

(センター通信 n-ro 222, 2002年12月8日)


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