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2005年4月25日に87歳で亡くなった、いとうかんじさんをしのび、藤本達生さんが雑誌“Fonto”誌の第300号に回想を寄せています(2005年12月発行。p.3-11)。
初対面は1966年5月の“VIKING”の合評会。いとうさんは、すでに1959年に41歳でエスペラントを始めており、以後、人生の半ば以上をひたすらザメンホフの研究、著作、出版に捧げました。その日常を藤本さんは、いとうさんのエスペラント界への唯一の「窓」であり、長年PVZ出版に関わった共同作業者の立場から回想しています。
いとうさんは、帰宅して入浴、夕食後の3時間、2階の書斎にこもり、夜11時に就寝のため下りてきたとのこと。つつましい書斎のありさまが髣髴とします。洋服屋だった父親の職人気質を受け継ぎ、常に勤勉に仕事をし、無為に過ごすことがなかった。藤本さんは校正刷を持参しても、無駄話はせず、用事が終わるとすぐ帰ったとのことです。
いとうさんは知人友人の葬儀にも出ず(もっとも、夫人が代理出席されたそうですが)、ひとりで在宅中は電話に出ず、また、飲み屋にも行かなかったとのことです。人間嫌いを自称していたが、晩年は人によく会い、上機嫌だったとのこと。藤本さんは、いとうさんの未完の仕事を引き継ぐ人が出てほしいと結んでいます。
(センター通信 n-ro 247, 2006年6月5日)