通信より

第88回世界エスペラント大会(Gotenburgo) に参加して

黒柳吉隆・文子

13時25分、定刻より5分早く、私たちの乗った列車はストックホルム中央駅に着いた。改札口は無いので、ホームから階段を降りて通路を通ってコンコースに出ると「Esperanto」と書かれたビニール袋をかざした人が待っていてくれた。挨拶もそこそこに私たちを駅舎の外に停めてあったワゴン車に乗せると直ぐに発車して、「私の最初の役割は、あなた方を無事にホテルに届けることことだ。この後、2回空港まで往復する。」と忙しそう。道々、建物の案内をしながら、橋を渡って郊外の入り江を見下ろせる高台にあるホテル「FORESTA」に私たちを降ろして、フロントに二言、三言声をかけてすぐにワゴン車は消えた。この間、15分ほどだ。いよいよ始まったUKの大会前遠足5日間の拠点がこのホテルだ。

フロントで鍵をもらって、部屋で一休みしていると突然電話が鳴った。「今、暇があるか。あったら、すぐロビーに来て欲しい」とのこと。急いで降りて行くと、温厚そうな紳士(後でLKK[現地大会組織委員会]委員長のリンドブロムさんであることが分った)が待っていた。用件を聞くと、「別のホテルを世話した2人の日本人が『こちらのホテルに移りたい』と言っているようだが、こちらは満員なので、そちらのホテルに留まって欲しいのだが、全くエスペラントが通じないので助けて欲しい」とのことだ。用件は簡単なことなので、直ぐ話はついて、先方の名前も聞かなかったが、「そうでなくても忙しいLKKの手を煩わすのなら、せめて必要最小限のエスペラント語が分るか、分る人に同行してもらう」くらいの常識を持たないと、世界の中で大人の扱いをしてもらえない。

「中央駅で両替ができる」と聞いていたが、その暇も無く、「このホテルではやっていない」ということなので、徒歩で10分の銀行を教えてもらって、円をスウェーデン・クローネに替えた。大会前遠足(ストックホルムとその周辺の観光) 第1日目は参加者全員が、ホテル前から1台の観光バスで約70km北の古都ウプサラへ。5分の1は日本からの参加者だが、ここでは日本語は使いたくない雰囲気だ。最初の見学地は、5、6世紀の王族の墳墓。ドーム状の3つの丘陵で木柵があるのみで守衛もいない。そこと隣の麦畑との間の小道をジョギングや散歩している人がいる。ャンさんが流暢なエスペラント語で解説してくれて、スウェーデンの原風景から当時の世界へ誘われる。

偉大な植物学者、カール・フォン・リンネの居室と講義室(今では博物館になっている)とその周りにいろいろな植物が植えられた庭園の見学。8人のノーベル賞受賞者を輩出したウプサラ大学、その隣の大聖堂と昼食を挟んで盛りだくさんな見学が続いた。ホテルに帰って、夕食後はエスペラント語の歌とピアノのコンサートである。次の日は、ホテル下の郊外電車の駅から電車で橋を渡り、メトロに乗り継いで中央駅へ。駅近くの港から観光船で風光明媚なメーラレン湖を西へ、マリエフレッドで下船して13世紀に作られたグリップスホルム城とルーン文字で記した石碑などを見学。おもちゃのようなSLに乗って、郊外電車の駅へ。そこからストックホルム中央駅に戻った。夕食を各自でとって19時集合、15分ほど電車に乗ってストックホルム墓地の見学。墓地と言っても、100年も前に「自然と人間の営みとの調和」をテーマに公募で設計された広大な公園で、樹齢300年と思われる赤松の林の中に墓石を配置した墓地公園はようやく沈みかけた夕日の中で静かに散策するのに違和感はない。今では、ユネスコの世界遺産に登録されている。

第3日目は、1903年に建築コンクールで計画された市庁舎の見学。ノーベル賞の授賞式でも知られる有名で立派な建物だ。その後、また船で世界文化遺産にも登録され、今の王族の住まいでもあるドロットニングホルム城と宮廷劇場の見学。夕食後は、中央駅から電車でわずか15分のところにある自然公園の散策。白樺と赤松の林があり、いろいろな野草が咲き乱れ、野鳥の遊ぶ池もあって、こんな所にこれほどの自然があることに驚きを感じる。涼しい夕方の3時間の散策に飽きない。ホテルの手違いらしく、「ストックホルム・カード」(電車、バスの乗車、博物館の入場が無料のカード)が、私たちには手渡されなかったので、臨時のカードをその都度ヤンさんから借りることになったお陰で、いつも彼の傍にいて、名解説を聞ける幸運に恵まれた。バスを待つ間に、3日間の世話人兼案内人を務めてくださったヤンさんに聞いた。「あなたの職業をお聴きしてもいいですか。歴史、文化、自然とあらゆる方面で詳しい解説をしながら、案内してくださったあなたの本職を知りたい。」第4日目は、旧市街ガムラスタンの見学。第5日目は、観光バスでエーテボリまで、7時間の旅である。大会 大会会場は、市街地の外れのコンベンションホールでホテルも併設された余裕のある建物である。ここにストックホルムからのバスが横付けに到着した。早速そこで2週間前にノルウェイのトロンハイムでお世話になったアルネさんに会う。握手してその時のお礼をいう。オスロのエスペラントの事務所で会ったチャーミングなリュディさんとも。ホテルのチェックインをしてから、2階に昇るとそこが受付けのあるホールになっている。受付を待つ人の行列と久しぶりに会う人たちの交歓の風景がにぎやかに展開されている。私はヨーロッパの大会は初めての参加であるが、妻は、4回目だから、知り合いも多い。他の人たちと同じように久しぶりの再会を喜んでいる。

大会

大会会場で是非会いたい人があって、掲示板に出そうとするともう私たちの番号札があった。この番号札と交換に伝言をもらう。この掲示板というのは、いつの大会でも用意されているもので、参加者名簿から伝言をしたい人の大会番号を示して依頼すると係りの人が預かってくれて、その名も、「ランデブー板」という掲示板に番号で表示してくれる。「あなた方と○時○分にここで会いたい。ご都合は?」と、伝言の主は、一昨年私たちを訪ねてくれたベルギーのクリスチエンヌさんだ。そして会えた。私たちの出した伝言の相手の方ともうまく会えた。参加者が1800人という大きな大会でうまくお目当ての人(私たちの場合には、顔も知らない人を探したかった)に会える便利な掲示板である。

開会式ではUEA会長のコルセッティさんが文字通り司会進行を司り、流暢なエスペラント語の挨拶が続く。通訳もなしに行われる大会に参加して、さすがに感動する。大会のプログラムは並行していろいろ行われるので、お目当ての番組の行われる部屋を探していくのも大変である。私は「大会大学」を中心に聴講した。これは、大学教授や専門家がその専門の分野の講義をエスペラント語でしてくれるものでかなりの聴講者が集まっている。講義が終わって、「質問はありませんか」と司会者が発言するかしないかの内にさっと手が挙がる。エスペラント語で質疑応答が行われる。専門の話で内容を理解するのがやっとで質問どころではない自分にとってはびっくりするばかりである。時間のある限り他の分科会にも出たが、議論を聞いているばかりで、発言するタイミングすら掴めない。以前の大会で、「日本からの参加者は多いが、ほとんど会場にいないのではないか」という批判が出たことがあったと聞いていたが、司会者が発言者を制するのに苦労しているほどの会議に割り込める日本のエスペランティストがどれほどいるだろうかと思う。やはりかなりの訓練が要ると感じた。

本の売店(展示即売場)の一隅で、著者が自らの著書を語るのを聴くのも楽しい。椅子とテーブルが適当に置いてあって飲み物も売っているかなり広い自由歓談スペースの一角でアマチュア無線の特別局を開局していたので、覗いてみるとハンス、ウォルフ、ゲナジなど今までの交信で声のみは聞いていた同好の人たちが歓迎してくれる。ついでにILERA(国際アマチュア無線連盟)の総会に出席したら、「後で、ラジオ博物館を見学しよう」ということになり、メンバー10人が地元の連盟会長さんの案内で、市内電車と船を乗り継いで見学できたのは、公式プログラム以外の余禄であった。

夜は、スウェーデンの夕べ、晩餐会、国際演芸の夕べと楽しみが毎晩続く。あっという間に1週間が過ぎてもう閉会式である。顔見知りの人たちと名残を惜しみ、再会を約して別れる。暇になった午後からは、ほとんど大会中に出ることの無かった街に出た。歴史と文化を売り物にするストックホルムとは少し違う、ボルボとかハッセルブラドなどの本社がある産業の街の趣だ。グスタフ・アドルフ2世の銅像のある広場では、2m四方もあろうかと思われる世界各地の写真を50、60枚も展示する特別展が無料で公開されていた。写真としても面白くて飽きずに眺めていたら、旧市街を散策する時間がなくなった。

大会後遠足(鉄、銅、銀・・・中部地方の鉱山を訪ねて)

大会後遠足は、エーテボリとストックホルムを底辺とする2等辺3角形の頂点付近で、会場から約500km離れた小さな町レーシェフォルスにあるエスペラント・ガルテン(職員もエスペラント語を話すユースホステル)を拠点に、100年前は世界の生産量の半分以上を占めた鉄鉱石の鉱 山などを大型のデラックスな観光バスで巡るユニークな中部スウェーデンの旅である。運転手を含めて総勢22名、ゆったりとした車内はもとより、和やかな旅は味わいがあった。市街を少し出ると辺りは森林地帯である。多少の起伏はあるがほとんど平らな林の中の道をバスが行く。人家は極稀に出てくるだけである。人口900万人で国土の広さは日本の10倍というこの国の人口密度から、頭の中では理解できても、どこでも民家に出会う日本の風景になれた身には不思議な気がする。赤松、白樺、樅の単純林か混在する森林と湖の多さに圧倒されるが、やがてその繰り返しで、単純さに慣れてくるとおしゃべりかうたた寝を誘われる。湖と湖を結ぶ運河は、水門を開閉して船を越させる仕組みで、かつては商用の船が利用するためであったが、今では、ヨットやボートなどレジャー用の舟でゆっくり旅をする人の往来とこれを見に来る観光のスポットになっている。私たちも、この旅の途中で何回もいろいろな運河を見学した。ちょうど舟が通過するタイミングに出会って水門の開閉を見学できる幸運もあった。

鉱山の跡は、ほとんど緑の樹木で覆われて、世界遺産に登録されて、博物館になっている古い建物や溶鉱炉を除けば、その面影はない。しかし、観光が大きな産業というスウェーデンでは、こういう廃墟も観光資源にするたくましさと駐車場の公衆トイレに至るまで、ほとんどの施設で、ちり紙は言うまでも無く、石鹸、温水、温風が出る装置を備えており、この清潔感が観光客を呼ぶ原動力になっているのであろう。日の沈むのが遅く、夕食後のひと時を散歩やおしゃべりに当てられるのも、周りがみんなエスペラント語を話す人ばかりだから、楽しい旅にさらに実りを添えてくれた。

(センター通信 n-ro 237, 2003年9月1日)


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