通信より

フロイデまつりで見たこと、聞いたこと

山田義

フロイデまつりの報告は他の機関誌に詳しく載ったので、そこで見たこと、聞いたことを私なりに書いてみる。

2002年12月7,8日、犬山市の「フロイデまつり」に顔を出した。フロイデ応援団や犬山国際協力協会の加わった年に一度の市の祭りだ。去年は第7回だった。寒い土曜日と日曜日だった。「ふれあいの広場」、「音楽の広場」、「味覚の広場」などがあり、エスペラントのコーナーは「世界とくらしと文化を知る広場」に入る。

第91回日本エスペラント大会[犬山]実行委員会も、手作りした写真パネルや説明パネルを車に乗せてそれぞれが土曜日の朝搬入と設置した。犬山の12月は寒い。聞くところによると去年まで「味覚の広場」は外の広い駐車場でやったそうだが、今年は犬山国際観光センターの地下駐車場で、大釜で味ごはんやフロイデ鍋などが3000食用意され、私たちフロイデ応援団のスタッフにはチケットが渡された。それに勢いよく餅つきもあり、つきたてをトレーに3色もちが赤いあん、黄色の黄粉、緑の粉末のお茶でできていた。

今年のメインテーマが韓国。フロイデホールでは韓国スウォン(水原)市からの民族舞踊がにぎやかきわまりない楽器3種で会場を錬り踊る。他の部屋では韓国の展示が大々的に行われていた。キムチの漬け方講座があり、私もお皿一杯のキムチを食べてきた。壁には朝鮮文字ハングルの一覧表が大きく貼ってあり、自分の名前をハングルで書いてみようのコーナーで私も書いてみた。字を書きながら指導の人とも話したり、ハングルについて質問できた。

エスペラントの展示コーナーの隣の部屋がヒッポの部屋だ。多言語を家族で楽しむグループの活動だ。教材としてのテープや CDは揃っている。てらいもなく好きなことばで若いお母さんやお父さんがマイクを片手に話している。私も誘われるままに集まった人たちと手を取りながらゲームを体験した。

廊下を歩くとアジアの一国に関係の活動グループが民芸品を見せていろいろ説明してくれる。気楽に話しかける元気な女性が、 3人の背の高い黒いスリランカ人を紹介し、日本は初めての訪問で帰国報告にも都合いいから写真をいっしょに取れという。その辺りにいた人をかき集めてみんなにこにこ顔で使い捨てカメラに納まった。

国際観光都市を標榜する犬山だ、これだけの多国協働の催しを毎年やっている。エスペラントコーナーに来る市民にパンフレットを手渡しながら話しかけてみると国際語、人工語の文法や歴史や現状に深く興味を持って、写真パネルや展示の書籍に興味を示す人が多かった。

91JK-LKKが用意したチラシには、犬山市の姉妹都市デービスのエスペランティスト、ヘンリーさんから犬山市民へのメッセージも載せた。姉妹都市の友好を育てるにはマラソンの交流もあるが、そのときに直接話が通じないのが残念だ、デービスで犬山市民といっしょにマラソンの行事があるが、日本語でもない英語でもないエスペラントは有効だと語っている。現実一人の犬山市民とエスペラントで文通していることも告げている。

当日フロイデホールでは毎年恒例の市民によるベートーベンの歓喜の歌が披露された。

去年に続いて 91JK-LKKはこのフロイデまつりには今年の12月も参加し、来年10月の第91回日本エスペラント大会を犬山市民を取り込んだ大会に持っていくことになりそうだ。そのために、今回のエスペラントのコーナーで名前を記入していった10数名を中心に市民に呼び掛けて、5月には「犬山エスペラント講座」をフロイデで開く。実費だけの全8回で、扶桑の Rondo SONKISOJ の共催である。日本エスペラント大会開催に先立って、犬山市にエスペラントの風を起すためである。大会テーマの Ĝoju kaj kunvivu Esperante  が2月の実行委員会で決まった。喜びと共生ということばを折り込んだ。

(センター通信 n-ro 235, 2003年3月3日)


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