通信より

戦争とエスペランティストたち

山田義

ベトナム戦争は私の 20歳前の出来事だった。 そのころ、エスペラント会の金曜例会に出ると、由比忠之進さんがベトナム発行のエスペラントの新刊本を持って来ては見せてくれたことを覚えている。私は毎日知らされる北爆の新聞のニュースやホーチミンのことを書いたエスペラントの本に対してどのように反応していたのだろうか。今思うと、ほとんど無関心だったような気がする。

しかし、去年の夏私の友人 Akira さんが "Raportoj el Vjetnamio --Tiel ili travivis la militojn--" という本をまとめた。エスペラントの原稿をベトナムから集め、編集校訂をし、自分で訳した日本文も添えた、180ページを超える本である。印刷も製本もひとりでやり遂げた。e-メールがあり、ワープロがあり、レーザープリンターがあるとはいえ初めての出版をそつなく仕上げたのには驚いている。

恵那の Akira さんは私と同年輩であり、若いときからあのベトナム戦争について心を痛めていた人だということがこの本で分かる。ベトナムのエスペランティストから、戦争を生き抜いてきた生の声を集めた。その中の一人、Nguyen Ngoc Lan さんの手記も載っている。日本に来たとき、私も恵那で会ったことのある女性エスペランティストである。この4月には再び来日し、5月始めの全国合宿「第36回エスペラント・セミナー東海」にも客員講師として参加するので、この合宿に参加しようとする人はこの手記を読んでおくと、彼女との話題がふくらむだろう。

さて、私は最近になって、あるテレビ放送であのベトナム戦争について認識を新たにさせられた。アメリカが 1973年のパリ協定によって撤退したその後20年経ってベトナムとアメリカが国交回復したのだが、その何年か経ってからの番組だった。お互いに戦った軍人たちが同じテーブルに着きお互いの立場を証言した。その中で一人のアメリカの軍人が言っていた。「ベトコンと苦戦を強いられているとき、北ベトナム政府は国民をここまで戦わせて、国民のことをどう思っているのかが問題だった。しかし、今日そのことをこうして相手のベトナムの軍人、当時の政府関係者などから聞いて、政府は国民を思ってのねばり強い戦いだったことを知った」と、自分たちの誤解を省みていた。「いまだからこそ、そのアメリカ人はベトナム軍人の証言を受け入れることができた」と言っていた。戦争のさなかでは到底相手を正しく理解はできない 。アメリカ側は、自分こそが正義であり、ベトナムの人民をその圧政から解放してやらねばとでも思っていたのだろう。

若い私は毎日の北爆のニュースを聞きながらも、由比さんがその国の人々について心を痛めていたことに無関心だった。私には関係のない遠い国の出来事だったからである。しかし、 Akira さんのこの本を読んで、私は今こそ、同じこの地球上でしかもアジアの近くのあの国で、同じ年輩の若い人々が戦い、怒り、おびえていたのを生の声として聞くことができた。この本がエスペラントで書かれてあるからこそ私も目を通したのだが。

長い外国からの侵略の時代のなかを生き抜いてきた若い日の Lan さんの生の声を彼女は自身のことばであるエスペラントで書いている、それは私のことばでもある。それを今私は読んでいる。伝えること、そしてそれを聞くことの大切さを知った。書くこと、そしてそれを読んで理解することを国を越えて時代を超えて共有することができる、エスペラント。

相手がだれであれ相手の立場を知る勇気が、相手を理解する努力が必要である、その手段として私たちにはコトバがある。通信手段がある、一方的に訴える宣伝の方法もある。しかし、力で片づける前にすることがあろう。その放送の中で私は、力のある者のおびえを見た。相手がうさんくさいから排除だ排斥だ、たたきつぶせという追いつめられた感情だ。相手を知っていない、理解しない、そこに恐怖心がある。あのときアメリカが最後には手を引いた。だが、今のアメリカには力ある者の怯えや恐怖を乗り越える世論が勝つのだろうか。

※編集者からの e-メール連絡に(または、ある人からのe-メール連絡に)添えられていた、「 欧米では、アメリカのイラク攻撃をめぐって反戦運動が巨大な盛り上がりを見せていますね。私らもノホホンとしてはいられない、という思いがつのります」ということばに私なりに反応しました。

(センター通信 n-ro 235, 2003年3月3日)


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