通信より

北京のエスペラント大会にて

黒柳吉隆

「サルートン」、「やあ、いつ着いたの?」、「お昼前よ。お元気?」 大会会場に着くや否や目ざとく私たちを見つけてくれたヴェトナムのNとのこんな会話で再会の挨拶が始まった。Nとは99年のハノイでのアジア大会以来の付き合いだが、特に昨年の日本大会に来て再会し、私たちの家を拠点にして各地の皆さんに可愛いがられて1か月余りを過ごしてから、いっそう親しくなった。北京へは、列車で2日半かけてやって来た。「大して疲れなかったし、楽しかった」と列車の旅を語る元気はつらつとしたその若さがうらやましい。そして彼女のエスペラントへの熱意も語学力レベルも急激に高まるのを感じてうれしくなった。 

同じ列車で来られたが長旅の疲れも見せないLさんの変わらぬ穏やかな微笑を浮かべた挨拶もしっかり受け止めた。「あの時はお世話になったわね。」とお互いに共通の時間を思い出して懐かしみ、あらためて異国の地での再会をよろこんだ。Tさんともやはり同じように、共通する思い出がある。「あの時、絵をいただきました。」、「まだ画いているよ」。お2人とも故国では「偉い方」なのだが、全くそういうこだわりがないのが、エスペラント語を介した付き合いである。こんな体験は、エスペランティストの間では当たり前のことだが、普通の世の中に当てはめると実に妙な交わりである。

筆者と3人娘

受付やいろいろなところで若い人が大勢お手伝いをしていた。彼らはそろいのTシャツで、元気に働いていた。午後の番組が終わったころ、3人娘がベンチで休憩していたので、夕食に誘う。「リーダーの許可を得てくるから」と1人が奥に消えたが、まもなく出てきた。「OKがでましたから」と。大会の会場からおしゃべりしながら歩いて、10分ほどのところにあるレストランに入る。メニューを見ながら、「これはこういうもの、これはこういうもの」と説明してくれる。メニューが決まって注文した後、おしゃべりだ。彼女らは、医者、デザイナー、フランス語教師の卵たちである。「北京の大学のいろいろなところから集められて、数か月エスペラント語を特訓した」という。エスペラント語がうまいとは言えないが、充分に意思の疎通はできる。

何よりも私たちだけでは、何を注文してよいか分からない。漢字で書いてあるので、なんとなく分かるようでいて、分からない。隣のテーブルにいる日本人グループの注文のお手伝いもこなしてくれた。大会から離れて、現地の人とその国の料理を食べる楽しみは、今まで何回も体験したが、本当に楽しい。彼らも、実際にエスペラント語を実用する体験を楽しんでいるようだ。こういう若い人といろいろ話しをすると若いエネルギーをもらって大いに若返る。

「こちらは僕の友人です」ときれいな若い人を紹介してくれたのは、彼が大学生のころから、アマチュア無線で話しをし、私たちの家にも来、ソウルの世界大会とアジア大会でも会い。会うたびに親しくしてきた韓国のJだ。もう、10数年の付き合いである。家内を「日本のお母さん」と呼んで電話してきたこともある。絵心があってコンピューターを駆使して仕事をしている。「彼女も無線をやりますから」と紹介の言葉に加えてくれた。

「あら、サリーコじゃない?青島以来よね。」しばらく話をした。そして翌日、「娘さんにお土産買っていって」と言いながら、お小遣いを手渡してくれたのは、中国北京ののWさん。彼女の中では、私たちの娘がまだあのときの中学生のままなのであろう。そして私は、12年前の青島の大会で会った一人の女性の消息を尋ねた。 その後しばらく文通が続いたが、あるとき急に音信不通になってしまった人だ。ここにくれば何かの手がかりが得られ、うまくすれば会えるかも知れないと密かに期待して来た。「彼女は、職場を変わったわ。給料も上がったし、結婚もしたし、子供もできて幸せそうよ。昨日はボランティアで来ていたけれど、忙しそうで、今日は来ないわ。」 そうか、元気なら結構なことだ。「暇ができたら、また手紙をくれるように」と伝言を頼んだ。

「今日の夕方は、暇があるかい? 5時に玄関で会おう。」と夕食に誘ってくれたのは、10数年来の友人で、昨年日本に訪ねてくれた中国杭州からやってきたT。定刻前に、玄関に行くと中国、韓国、イギリスからのメンバーに私たちを加えて8人だ。レストランで円卓を囲み、いろいろな料理と生ビールを大ジョッキにもらって、大いに盛り上がった。「割り勘で」という外国勢に対して、ここは「自分に任せてくれ」と彼がいうので、皆、すっかりご馳走になってしまった。中国も豊かになったことの証でもあるし、昨年のお返しのつもりでもあったのであろう。

会場のあちこちで時々顔を合わせた時に、お互いに親しみを込めたエールを交わす人ができた。その1人が、内モンゴルから来たKさんだ、ある会合で同じテーブルについてから、親しくなった。「私のところへ来て、馬に乗って原野を駆けてくれ」としきりに勧めてくれる。私と同じくらいの年齢かと見かけから推定していたら、「もう80を超えた」とのこと。お元気だなぁ。聞けば、この間、一緒に中国料理に誘った若い子たちの「先生の先生」ということもわかった。この歳をとらない秘訣を見る思いである。もう1人が、遠く武漢から来たというXさん。「エスペラント語は未だうまくないんです」と控えめながら、しとやかな振る舞いと自信に満ちた笑顔が魅力的な方だ。 義理の妹さんが、京都にいるという。「横浜大会には是非行きたい」ということだ。また会えるのが楽しみになった。

「来年のアジア大会には、必ず来てね。」と念を押されて別れたのは、ネパールのPだ。彼らの熱心な勧誘とすばらしい自然と人の話しを聞くとぜひとも出かけたいと思う。

世界大会のプログラムとは別に、旧知の人たちと再会し、新しい出会いがあって大会に新しい思い出を作ってくれた。エスペラントの世界は、楽しい世界である。日本大会の仕事が終わったら、1人ひとりの交流を深めたいと思う。

(センター通信 n-ro 240, 2004年9月5日)


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