通信より

アジアエスペラント大会に参加しようとした顛末記

鈴木善彦

20代、30代にはエスペラントの世界大会や海外のエスペランティストに会いによく旅行をしたものだった。しかし、仕事が忙しくなり、責任ができてきて、長期に休むことが難しくなり、自然と足が遠のいてしまった。そしてこの12年間海外はもちろん国内でも日本大会への参加も含め、旅行らしい旅行をすることがほとんどない状態であった。しかし、ここ数年、子どももある程度大きくなり、精神的に楽になってきたことと、50代になり仕事にも先が見えてきたためか、海外に行ってみたいという気持ちがわくようになってきた。

それを強く感じたのは、ネパールでのアジア大会が決まったことを受けて、 2003年12月のザメンホフ祭にネパールからの留学生 Salin Shakyaさんを呼んでネパールについての講演とネパール料理を食べる会を行なったときである。またここ数年エスペラントの仲間と月1回を目標に近くの山を歩くようになり、ヒマラヤなどの山を見ながらトレッキングができたら素晴らしいだろうなと思うようになり、ネパールを訪ねたいとの気持ちが強くなった。

また、今の職場は夏場が忙しいため、休暇をとるには冬場しかなく、夏に開かれる世界大会には参加できないが、3月開催の今回のアジア大会は自分にとって最も好都合な大会でもあった。そして 2004年12月12日にセンターで行なったザメンホフ祭に講師としてこられた堀泰雄さんや、すでに申し込みを行なったという杉原直さんと話をして、決心が固まった。 Landa peranto のJEIに参加申し込みを送ったのは12月14日である。

Landa perantoを通じて参加費等を送る場合、ドル換算が実際の換算率より高めに設定してあり、加えて5%の追加が必要であるため、少し高いような気がしたが、銀行から外国の銀行に送る場合の手数料と比べると個人で行く場合はむしろ peranto を通じた方が割安になることもわかった。

ネパールの首都カトマンズに行くには関西空港から直行便があるが、2月 17日に新しく開港する中部国際空港(セントレア)を利用したい気持ちが強く、バンコクまで行く直行便を利用し、バンコクで1泊し、翌日カトマンズに入る予定をたてた。エベレストを望む大会前遠足に参加したかったが、時間の余裕がなく、ほとんど大会のみの日程となった。一緒に行きたいという娘との二人の参加とし、時間の余裕のある娘は大会後の遠足(ポカラ経由のトレッキング)に申し込みを行なった。それが1月29日である。遠足等の申し込み期限が1月末であったのでぎりぎりの申し込みである。

参加申し込み後、海外旅行につきものの保険に入ろうと柘植巳知彦氏(保険代理業)にその旨を相談したら、次のようなメールが送られてきた。

ネパール行きの海外旅行保険の件ですが、先日、危険地域への旅行は引受規制があることはお話ししましたが、現在以下の引受規制があります。
外務省発出による「海外渡航関連情報」において、「待避を勧告します」または「渡航の延期をおすすめします」とされた地域へ渡航する契約は引受不可または保険会社へ事前申請の上、引受可否を決定となります。現在ネパールでは以下の地域が「渡航の延期をおすすめします」となっております。

そして、ネパール国内の郡が列挙してあったが郡の名前を見ても、たとえばポカラが何郡かさっぱりわからない。思案しているうちに、外務省の海外安全ホームページがあることがわかった。世界地図から行きたい国をクリックすると詳細な地図が出てきて、郡の名前と「退避を勧告します。渡航は延期して下さい。」「渡航の延期をおすすめします。」「渡航の是非を検討してください。」「十分注意して下さい。」の4段階に色塗りされた地図がみやすく描かれていた。カトマンズやポカラは3番目の「渡航の是非を検討してください」の地域であった。

そのため、保険をどうしようかと考えているうちに、2月1日、ネパールのギャネンドラ国王が現政権を解任し、国王自らを長とする次期政権を発足、警戒態勢の指示等を発表したとの新聞報道が飛び込んできた。カトマンズ空港も閉鎖され、電話、携帯も不通になっているとの情報である。アジア大会のHPを見ようとしたが、やはり開けない状態であった。

そのような情報が入ってきて、職場や家族からの行くのを止めるようにと合唱が始まった。マオイスト(毛沢東主義過激派)と国王派・会議派の地方における小競り合いのみなら外国人には危害を及ぼさないという情報を信じてネパールに行くつもりであったが、電話など通信手段が不通になるような状態では家族を納得させることもできず、大会への参加を断念することにした。その旨を2月5日に JEIにメールで連絡を行なった。事務局もやはりネパールとの連絡ができないとのことであった。

そのような状況下、 politiko というメーリングリストに投稿されたRazenoというペンネームのネパールのエスペランチストからのメールを伊藤俊彦氏が転送してくれた。そこには、現在の厳しいネパールの情勢を伝えた後、末尾で、「それでもネパールでアジア・エスペラント大会を開く準備はできている」と書かれていた。ネパールでの大会に寄せる期待の大きさを感じさせるものであった。

しかし、とうとう2月 10日に、アジア大会を主催するUEAアジアエスペラント運動委員会(KAEM)から、「ネパールエスペラント協会との協議の結果、大会の開催は不可能と判断し、開催を半年遅らせて、今年の8月25日(木)から29日(月)にカトマンズで行なうことを決定した。」旨の連絡がなされた。

エスペランチストではないが、私と同じようにネパールの情勢を心配していた山登りの好きな知人が2月下旬にネパールに向った。「よくあることですよ」と言う旅行会社の言に従ったものだ。今でも時々マスコミではネパールの政治情勢の混沌とした状況を伝えている。8月になれば落ち着くのか、それとももっと悪化しているのか。

できれば無事に大会が開かれることを祈るばかりである。

(センター通信 n-ro 243, 2005年3月19日)


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