通信より

東南アジアを旅して

鈴木善彦

ネパールへの旅行は中止になったが、3月初めに休暇をもらう申請はすでにしてあり、外国に行く場合の職場への届出が終わっていたこともあり、せっかくの休みを取り消すのももったいないので、東南アジアを訪れることにした。仏教遺跡を見てみたいとの想いが以前からあったので、遺跡を巡るツアーを探した。世界の3大仏教遺跡はカンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドール、タイのアユタヤ遺跡であると聞いたので、できればこの3箇所を回りたいと思ったのだが、1週間の日程では移動(飛行機)の調整が難しいことがわかった。そのため、インドネシアをあきらめてカンボジアの隣のベトナムによることにした。

せっかくなのでエスペランティストにも会いたいとJARLIBROで探したのだが、タイとカンボジアは掲載されておらず、ベトナムにはエスペランティストがいても会うだけの時間的余裕がないことがわかり、今回の旅行はエスペラントとは全く関係ない旅行とすることにした。

そのため、エスペラントとは全く無縁の旅になるはずであったが、ひょんなことからesperantoの文字を見ることとなった。それは、ベトナムのホーチミン市にある戦争博物館を訪ねたときのことである。

由比忠之進戦争の悲惨な写真が展示してある部屋でふと見覚えのある写真が目に飛び込んできた。それは名古屋、横浜のエスペラント会で活動をされ、1967年11月に焼身自殺した由比忠之進氏の写真であった。説明には、「ジュウイクノシン氏が焼身自殺する前に日本の佐藤首相に宛てた手紙である」と書かれていた。

また、あわせて、エスペラントの本“VILAOJ EN BATALKAMPO”が展示してあり、その説明には、「民族解放戦線の戦争地域を描いた本多勝一の著作『戦争の村』がジュウイ クノシン氏によって国際語に翻訳された。」と書かれていた。

日本語のガイドさんにエスペラントとは何か知っているかと聞いてみたが、全く知らないとのことであり、残念に感じたものである。それが今回の短い旅行中の唯一のエスペラントとの接点であった。

旅行の初日に訪れたカンボジアのシェムリアップ(アンコールワット、アンコールトムの所在地)は、人口70万人であるが、信号機が2箇所しかない街で、自転車とオートバイが移動の中心であった。またいわゆる水道がなく、ミネラルウォーターが唯一の飲み水のため、飲食物には注意していたのだが、予想通り下痢状態になり、2日目から帰る日まで食事を満足に食べることができず、食事に関しては残念な旅行であった。また、国民の3分の1近くの人(約300万人)を殺したポルポト派による内戦の影響で足を失った人を数多く見かけ、改めて『戦い』の残虐性を感じた旅でもあった。

(センター通信 n-ro 243, 2005年3月19日)


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