通信より

岐阜の豊田元樹さんが

山田義

岐阜の豊田元樹さんが2006年5月12日病気で亡くなられました。

豊田さんは1941年に新潟大工学部を卒業、岐阜市内の富田高校で化学を教え、校長も勤め、最後までエスペラントを大切にしていた方です。

小学生のとき「少年倶楽部」の記事でEを知り、45年病気療養中にエスペラントを独学しました。52年には岐阜薬科大で講習会を開いたり、富田高校ではエスペラントクラブを指導しました。

今回、奥さんの和子さんから聞きましたが、探検家セケリーを招き自宅で映写会も開いたり、UK東京大会の後ではフランス・リヨンから来たペラさん姉妹も岐阜城や長良川の近くの自宅に招かれたとのことです。

長年、名古屋エスペラントセンターの維持員として応援してくださり、年に2回の寄付も寄せてくださったと会計から聞いています。内外の購読誌の今後の送付中止を知らせるようにと和子さんから頼まれて、各誌にe-メールでその旨を知らせました。そのうちの”Heroldo”誌からは次のような返信があり、その適切な対応ぶりに感心しました。

Ni forstrekis lian nomon el la adresaro.
S-ro Toyoda regule pagis la abonon ĝis la fino de 2007.
Tial la restantan duonon de la jarkolekto LF-koop sendos al senedza patrino, tre bona sed malriĉa esperantistino en Afriko. Tio estos kvazaŭ donaco de s-ro Toyoda. El Afriko soros preĝo por lia animo.
Bonvolu informi la vidvinon pri ĉi tiu decido.
Kore salutas
Kooperativo de Literatura Foiro

6月20日黒柳吉隆さんとご遺族を弔問してきました。2階に通されると豊田さんの勉強部屋は長年にわたって整理整頓されていたことが分かりました。和子さんから部屋を片付けたいので本箱に積んであるエスペラントの関係雑誌や書籍はどうしましょうかということで、大切な遺品はセンタで保管することにしました。段ボール箱をいくつも車でセンタへ黒柳さんと運び込みました。次いで7月6日は猪飼吉計さんと出かけ庭の物置に積まれた戦前からの雑誌などを車に載せました。その日のうちに大量の本をセンタに入れました。台車とエレベータが助かりました。和子さんからはセンタに志をいただきました。

センタでは豊田さんを記念して遺品の中の「エスペラント日本語辞典」を勉強用に並べておくことにしました。

Revuo Orienta 2006.04に豊田さんの「回想」が載っています。今回、岐阜の加藤文男さんがRevuo Orientaに追悼文を寄せています

(センター通信 n-ro 253, 2007年7月30日)


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