通信より

JEIの評議員選挙に当選して

山田義

JEI の評議員の選挙に関して、公報に表明した私の立候補理由をもう少し敷衍して書いてみよということで編集者からその機会を与えられました。立候補のいきさつや表明した内容について書いてみます。

日本エスペラント学会は日本のエスペラント界においてその中心的役割を果たしている運動体のひとつだ、と私は評価しています。今から 2年前に評議員の改選が公示されたとき、立候補するようにと人に勧められましたが、そのときは見送りました。

Revuo Orienta の2001/02 号で「新理事の抱負」としてヤマサキ セイコーさんが、「なりたい人でなく、出したい人を役員に。選挙に論戦を。ことしの評議員選挙から始めよう」と書いています。 2001 年がその 2年ごとの改選の年でした。私はこの地方の会員 6名にお願いしたところ、立候補の手続きとして必要数 5名の推せん状をいただくことができました。 17 名の立候補者があり私は最下位でしたが 14 名の中に入りました。

評議員になったとしても私ごときが JEI で何か大きな仕事ができるとは思わない。しかし、名古屋地方のひとりとして、まず JEI の活動の一部に顔を出すことによって今のエスペラント運動を理解し参画できればと考えたからである。

選挙公報には、東海地方の運動がより元気になること、名古屋で日本大会を、貴重な書籍の保管活用の必要を書いた。

私は各地方会の活動の様子を現場に取材して「通信」 9月号から報告を書いてきた。半田エスペラント・クルーボ、 Rondo SONKISOJ 、名古屋エスペラント会に続いて、 2月には掛川エス会を訪問することにしているし、そのあとも、取材を許していただいて、三重エス会、 Ĉambro Ĉarma、豊田エス会、名古屋エスペラントセンターについて書いてみたいと思っている。その一環として日本エスペラント学会の役員会(理事会・評議員会)の様子や動きを書くことも私のやるべきことではないだろうかと考えている。

さて、公報にも書いたように、この地方の懸案であった日本大会開催の課題も実行に移していきたい。これは一人でできることではもちろんなく、すでに、「 04 年の日本大会を名古屋で」を豊田の黒柳吉隆さんと蟹江の猪飼吉計さんなどと準備を進めている。 JEI にある日本大会実行委員会 (KKK) との連絡にも年に数回の評議員会に出席し発言することで、名古屋での大会を成功に導く一助になればと思う。今年 10 月の福島大会、来年の亀岡大会も見据えて準備を進めていきたい。

ただ、この名古屋地方の事情を知る限り、既存の地方会やロンドから代表者を送り出してもらって大会組織委員会を立てあげることはむずかしいのではないか、というのが私たちの見方である。私たちは個人的に活動できる人々をこの地方に呼びかけ、相談し協議をして大会組織委員会を立てあげたいと願っている。その上で、既存の組織団体の持ち味と実力をもって大会運営に参加協力をお願いしたいと考えている。今は準備中であるので具体的な方策の発表はもう少し待っていただきたい。

名古屋エスペラントセンターは発足以来出版事業と貴重な書籍の収集保管に力を入れてきた。世界に誇るべき存在だと思う。しかし、今の保管場所は長い年月を考えれば地震や火事からの安全性を充分に満たすものではない。これをさらに発展させるためにも会の民主的かつ近代的な運営が望まれる。

また、私と数人の責任で、水害にあった竹中文庫を竹中治助さんが亡くなったあと預かっているがこの貴重な遺産を地元でこれからどう保管管理をしていくべきかも課題の一つである。こういう問題はひとり名古屋だけの問題ではないだろう。 JEI の評議員になったからといって解決できるわけではないが、せめてその糸口を見つけたい。

常に新しい時代のエスペラント活動をすすめていきたい。

(センター通信 n-ro 230, 2002年2月18日)


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