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私にとって、世界エスペラント大会への参加は、1987年(ワルシャワ)以来2回目である。前回はツアー参加だったが、今回は長い休みがとれないので個人で飛行機とホテルを手配した。7月25日夕刻から28日早朝まで、実質的に2日間の滞在であった。
多くの人が世界大会にもとめることの一つに、旧知の人々との再会がある。私の場合はそれは目的ではなかったが、結果的に何人かの人々と旧交をあたためることができた。
韓国のChoi Yun-hui (hortensio)。1982年に、第1回KS(komuna seminario inter japana kaj korea junularoj)ではじめて出会い、1992年に中国青島で開かれた太平洋エスペラント大会で、私は中国人のエスペランチストと結婚式を挙げたが、その時の立会人が彼女であった。彼女は国際的な集会にはほとんど姿をあらわす。今回もきっと来ているだろうな、と思っていたら、ホテルで会ったので朝食を共にした。
かつて東京学生RHの活動家だった佐々木昌広さん。今、イーハトーヴ・エスペラント会で活躍中。たぶん25年ぶりの再会だ。偶然にも、大会会場のメッセージボードに彼の名前を見つけ、ひょっとしたら私と同じホテルに部屋をとっているのではないかと思って、フロントに聞いてみると電話をつないでくれた。私「もしもし」彼「あ、お久しぶりです」私「お久しぶりって、私が誰か分かるの?」彼「分かりますよ。声がぜんぜん変わってないじゃないですか」...そんなやりとりがあって、夕食をともにしたり、部屋で深夜まで酒を飲んだりした。RH運動のこと、今回の大会のこと、地域のエスペラント運動のこと、互いの仕事のこと、話はつきない。
もう一人、まったく予期せぬ人と出会った。私の妻の従姉である。彼女とは中国で2回ほど会っているが、私は彼女がエスペランチストだとは思っていなかったので、先方から声をかけられてびっくりした。家で留守番をしている妻に電話で「彼女がエスペランチストだって知ってた?」と聞くと、「だってあなた、エスペラントでしゃべってたでしょ。」ううむ、そうだったろうか?たぶん彼女は当時は初心者で、おぼつかないエスペラントで話していたような気もする。彼女は大会の仕事で忙しいようにみえたので、長い話はできなかった。
いっぽう、新しい友人を得ることも世界大会の楽しみである。私の場合それは、いままでメールなどでやりとりをしていながら顔を合わせたことのない「国際仏教エスペランチスト連盟」(BLE)の人たちだ。スウェーデン、中国、香港、ベトナムの仏教徒エスペランチストたちと交流を深めることができたのは、何よりの収穫だった。食事をともにしたり、北京市内の寺院(雍和宮、法源寺)に参拝したり。このミニツアーをガイドしてくれたのは、香港の若いエスペランチストBill Makであった。
彼らはみな酒を飲まない。仏教徒だから当然といえば当然だが、日本の生臭坊主である私ひとりがビールを注文して飲むというのも、あまり居心地のいいものではない。日本であれば「真宗には戒律がない」ことに人々はあまり疑問を抱かないが、彼らに対して、戒律がない理由を説明するのはむずかしい。きちんと説明するためには時間がかかる。結局その機会はのがしてしまった。
世界エスペラント協会が主催する戦略フォーラム(strategia forumo)は、テーマを"realoj kaj potencoj de azio"として、4人が講演を行った。その一人が私で、"BLE kaj Esperanto en Azio"について話した。そもそも私が世界大会に参加する第一の目的がこれ、すなわちBLEとエスペラント運動との関係をアピールすることだった。聴衆は40〜50人ほど。2000人近い参加者がありながら、それぞれの番組、特にまじめっぽい番組には参加者は少ないのはいつもどおりのこと。私が他に出席した大会大学やdelegito集会でも同じようなものだった。大部分は会場をうろうろしておしゃべりしたり、市内観光にはげんでいる。日本人は特に観光に熱心だ。
私の第二の目的は、仏教分科会(兼BLE総会)への出席だったが、大会直前になるまで日程がはっきりせず、けっきょく私の帰国後に開かれることが分かったのだが、大会組織委員会の不手際はこれにとどまらない。しかたない。BLE委員長へ必要な報告を行ない、後事を託した。
大会会場は近代的な設備で、大掛かりな国際会議を想定して作られたもの。その点では申し分ない。 さて、私の滞在日数が少ないので、大会全体の印象について記すのはむずかしい。佐々木さんは、現地スタッフの不手際にかなり不満を抱いたようだが、たしかにinformejoの係員がちゃんとエスペラントを理解できなかったり、受付が機能しなかったり、数えあげればきりがないであろう。しかし私がおどろき、うらやましく思ったのは、若い(20代の)ボランティアが大勢いたことだ。数十人いたのではないか。かれらは学習不十分なまま働かざるをえなかったのだろう。しかしこの世界大会で彼らが何かを感じ、エスペラントへの動機づけとなったならば、さいわいである。ひるがえって日本はどうか。3年後、横浜での世界大会では、何人の20代エスペランチストを動員できるだろうか。暗澹たる気持ちになる。
(センター通信 n-ro 241, 2004年11月16日)