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朗読劇「売国奴と呼ばれても」を観て

鈴木 善彦

2004年12月3日、午後6時半から、朗読劇「売国奴と呼ばれても」を名古屋市名東文化小劇場で観た。この劇の開催に当たっては名古屋エスペラントセンターも会として協力することを決め、犬山での日本大会のサロンでもチラシを配布したり、前売りチケットを取り扱ったりした。

長谷川テルに関する演劇といえば、1980年「望郷の星」のタイトルで日中合作のドラマとして栗原小巻主演でのテレビドラマが放映されているが、今回の朗読劇を企画した実行委の主婦小笠原淳子さんがその資料集めの一環として「望郷の星」のビデオを探しており、それを知ったセンター会長の山口が、2003年7月のセンター掲示板にその旨を投稿したのが縁で、センターとしても協力することとなったものである。

内容は、太平洋戦争中、中国から戦争反対を唱えた日本人女性、長谷川テルの学校時代からその死にいたるまでの生涯を描いた朗読劇である。

長谷川テルは1912年生まれで、奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大)に入り、エスペラントを学ぶが、左翼運動の疑いで警察に検挙され退学。中国人留学生劉仁と結婚して日中戦争直前に中国へ渡り、ラジオを通じ日本兵に反戦を訴えた。日本の敗戦後の1947年、二人の子供を残して病死した。

一般の演劇という性格上、エスペラントに関してどの程度言及されるのか疑問視していたのだが、劇全体を通じてエスペラントについてかなり深く紹介する内容であった。エスペーロの歌で始まった劇は、一部エスペラント語での会話もあり、エスペラントを前面に出していた。

「お望みならば、私を売国奴と呼んで下さって結構です」、「本当の愛国心とは、人類の進歩と対立するものでは決してありません」のフレーズが何回か語られ、効果を上げていた。

劇の幕間にセンターの会長の山口が当日の資料として配布してあったテルの年譜に従い、テルの紹介をしながら、エスペラントの説明を行ない、劇の内容への理解を高めた。

当日は昼の部と夜の部の2回に分けての公演であり、朗読劇以外の講演や歌はその内容に大きな違いがあったようである。

私の見た夜の部はほぼ満席に近い観客で、まず名古屋大学教授の本秀紀さんが歌を交えながら憲法の重要性をアピールし、その後名古屋青年合唱団による合唱が披露された。午後2時からの昼の部は参加することができなかったが、立見もでるほど大変盛況であったとのことである。

余談ながら青年合唱団を指揮していた人が鳴海さんで、久しぶりに元気な姿を拝見できて嬉しく思った。鳴海さんは名古屋二期会のメンバーで18年前にセンター(オルキードイ)が出版した歌集付き音楽テープ“La Granda Kantado”でSORANBUSIなどを歌ってくれた方である。

全体の構成や内容は思っていた以上にすばらしいものであり、名古屋だけの公演にしておくのは本当にもったいないと思った次第である。


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