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Trevor Steele “Apenau Papilioj en Bergen-Belsen” (Pro Esperanto、1994)
学生反乱が高揚していた1968年のこと、イギリス青年マークは、半年ほどドイツで暮らそうと思い立つ。そして、いわば偶然のきっかけで、socialhelpistoとして(ソーシャルワーカーのような存在か?)、北ドイツのある施設の責任者として働くことになる。その施設が受け入れている人々は、第2次世界大戦中にナチスの強制収容所に収容されていたロシア人やポーランド人など東欧系の人たちであった。しかも彼らは、戦後に犯罪を犯したために、その祖国から受入れを拒否されているという、寄る辺なき人々である。マークはもともと彼のドイツ語に現地でもっと磨きをかけたいという意図しか持っておらず、施設の運営内容についてはまるで知らなかった。しかし、その施設を訪れた直後、前任者が急病で倒れ、成り行き上、その後継者にならざるを得なくなる。就任後、次々と事件が起きる。未経験なマークは、支援者たちの助けを借りながら、施設の運営に取り組んでゆく、というお話である。
ところで、この施設についてもう少し説明しよう。さきのような人たちが刑期を終えて出所するとき、刑務所を訪れてその身柄をあずかり、施設に住まわせ、仕事をさがして就労させ、社会復帰させるというのがその目的であった(p16)。 しかし、彼らのうちで正常な社会生活を営める者はほとんどいない。彼らは収容所で回復不能のトラウマを負っており、その精神状態はきわめて不安定である。ある者はアルコール中毒になり、ある者は仕事がつとまらず、物乞いに身を落とす。さらには、自由であることの重荷に耐えかねて(p128)、犯罪を犯してみずから刑務所へ逆戻りする者もいる。
彼らは家族生活も社会的な関わりも持たず、孤独である。彼らに外界から届くのは、娘が死んだとか、かつて同棲していた女性が死んだとかいうニュースぐらいしかない。死によって、わずかに外界とつながるのである。時に何らかのきっかけで狂気が噴出する。創立者のビーチャム夫人と現地のドイツ人の運営スタッフとの対立がきっかけになり、収容されている人間たちに一種のパニックが生じ、ついに悲劇的な事態が起きてしまうのである。
この小説がどこまで事実に基づいているのか知らないが、戦後20年を経て、なおこの種の施設が存在したとすれば驚きである。施設はドイツ国内に存在し、ドイツ人が運営している。しかし、収容されている人間がドイツ人を憎悪しているために、その責任者にはドイツ人でない外国人をあてることとされている。収容されている人間は、かりに祖国で暮らしていたとしても犯罪者になったかもしれないような性向の者たちだ。それでもなお、贖罪のためにドイツ人が運営しているのである。こういう世界があったということを、この作品で初めて知った。これは寒々とした、ほとんど救いのない世界で、いわば「夜と霧」の人々の20年後の姿である。
しかし、徒労とも見えるこの施設は、強い意志をもつ人々によって運営され、支えられている。例えば、ザンダーは、ナチスに抵抗した告白教会の信者であり、ダッハウ収容所に収容されていたが、奇跡的に帰還した(p22)。 しかし、当時の劣悪な環境がもとで障害者となり、戦後は職に就けず、この施設の運営に関わっている。2月の極寒のころ、ベルゲン・ベルゼン収容所へマークを案内した直後に死ぬ。意思堅固な内地伝道の責任者の女性も登場する。とても魅力的なのは、戦後の新しい世代に属し、知的で政治意識の高い女性ウルリケで、彼女はザンダーの娘である。マークは非政治的な人間であったが、仕事を通じて、また次第にウルリケに感化されて、政治や歴史に対する目を開かれていく。
創立者はビーチャムという女性で、イギリスの貴族である。夫人は大いに戯画化してえがかれている。聖人に列せられることを望み、クリスマス・プレゼントを囚人に配って歩く。とはいえ、彼女もまた戦争の犠牲者ではある。第二次大戦中の固定的な友敵の観念から抜け切れない。それがやがて悲劇を招くきっかけとなるのである。
主人公のマークは、イギリスでは学生というよりも、ドイツ文学を教える講師ぐらいのようである。26歳だとされている。この小説は、若く素朴な青年が、試練を経て自己形成を遂げていくという点で、一種の教養小説かと思わせるところがある。マークとウルリケはやがて愛し合うようになる。ハッピーエンドかなと思うし、このふたりに読者は好感を持つであろう。それだけに結末はショッキングである。
会話は生気に満ちていて、よどみがない。深刻な世界をえがきながら、作者にはユーモアの感覚がある。ことにビーチャム夫人とマークとのミュンスターへの道行きは傑作である。若く前向きなマークの視点から物語が語られていることも、この小説に明るさを与えていよう。サブタイトルを「ドイツに関する原作小説」というこの小説の作者について、私は全く知らないが、オーストラリア人だとのことである。
私たちのこの日本で、例えば旧植民地の住民のためにこのような施設があったということを聞いたことがない。戦後50年を経て、これまで繁栄のかげに隠されていたさまざまの歪みが現れてきている現在、この小説は、今さらながら日本の「戦後」のありようを考えさせる。
(センター通信1995年10月号掲載)
2000年になって、同じ著者により、Neniu ajn Papilio という作品が刊行された。これは、やはりマーク・ブライアントを主人公としており、物語の内容もほとんど同じである。違いは、Apenau Papilioj en Bergen-Belsen が三人称で語られているのに対し、こちらは、彼の残した手記を軸に、当時の関係者へのインタビューを織り交ぜながら語られているという点である。加えて、量的にも(337p)質的にも格段に物語の厚みと深みが増していて、Apenau … を読んだ方にも、新たな読書体験を与えてくれよう。
なお、本書については、(財)日本エスペラント学会発行の「エスペラント」誌2001年10月号に書評を発表したので、そちらを参照されたい。(追記・2001年10月5日)