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2か月ほどかかって、『ゴルバチョフ回想録』を読み終えたところである。ソ連社会を改革しようとの意図に発しながら、その意図に反してソ連を解体させてしまうという歴史的な役割を演じた政治家の膨大な回想である。よくもまあ書いたものだ。なにせ、邦訳で上下2巻、合計1600ページ近くにも及ぶのである。
ところが、それほど膨大な著作であるにもかかわらず、本書には、日本に関する記述はきわめて少ない。このことは、ソ連の当時の世界戦略にとって日本の意義が小さかったことの現れなのであろう。従ってまた、いわゆるシベリア抑留問題についても全く言及されていない。わずかに、日本訪問に先だって、ハバロフスクで日本人兵士の墓地を訪れ、献花したことがほんの数行、語られているくらいである(下巻 p324)。つまりシベリア抑留の問題は、ソ連にとってみれば、あの巨大なスターリン主義のもたらした災厄のなかでは、その程度の事柄なのであろう。
しかし、抑留は、数十万に及ぶ日本人の人生を大きく狂わせたのみならず、それはなお依然として現代の問題であり続けている。例えば、シベリア抑留に対する国家補償の問題が法廷で争われており、遠からず最高裁判決が出る見込みであると聞く。ドイツなどと違って、日本はこれまでシベリア抑留に対する国家補償を拒否してきたのである(この点、例えば、裁判闘争を担ってきた斎藤六郎の軌跡をたどった、白井久也『ドキュメント シベリア抑留』(岩波書店、1995)を参照)。
さて、本書であるが、著者は同じテーマをうむことなく繰り返し語る人である。そのテーマとは、自らのシベリア抑留体験であり、その体験から形づくられたスターリン主義批判であって、このテーマが『極光のかげに』(1950年初版、のち岩波文庫、1990年)から始まり、近年になって、ソ連におけるペレストロイカの進展にあたかも呼応するようにして刊行された『スターリン体験』(岩波同時代ライブラリー、1990年)、『シベリアに眠る日本人』(同、1992年)そして、本書『征きて還りし日本人』(岩波書店、1996年)へと、執拗に追求されているのである。
『スターリン体験』では、「ちっぽけな人間である私」(p12) とか、「私は日々の社会生活を誠実に生きてゆきたいと願っているだけの小市民にすぎなかったから、政治のことはわからなかったし、またわかりたいとも思わなかった」(p149)、とかいった、自己自身に対する限定の言葉が前面に出ていて、それはそのとおりであるかもしれないが、遁辞とうつるきらいがなくもなかった(ただし、本書では、『スターリン体験』については、十分推敲する時間がなかった (p4)とされているので、そういう側面もあったのかもしれないが、推敲不足は読者にとってはありがたくない話だ)。
その点、本書は、見事な自画像をえがいて間然するところがない。それは、被害者として、「いけにえ」としての立場から、現代史を見るという立場である。著者は、言うまでもなく、関東軍の一兵士、つまりは侵略者の一員として大陸にあったのであり、本書でも、「その自責の念が私の胸からはなれたことはこれまで一度もなかった」(p26) と書かれてはいる。しかし、たとえそうであるにしても、それはより大きな文脈のなかでは、動員されたいけにえ、被害者にすぎないということなのであろう。さらに、著者をとらえ、ソ連社会全体を覆っていたコンツ・ラーゲリ(集中営)の世界は、やがて、ソ連のみならず、中国の文化大革命においても見出されることになるのである(p259)。
ところで、著者はきわめて慎重な人であり、組織の人ではないから、政治家や政党の文化路線に従った作家たちのように過ちを犯さざるを得ないということはなかった。「賢者は政治をしない」という言葉を思い出す。ただ、時折、鋭い批判の言葉が語られている。著者の夫人の妹は、やがて宮本顕治の後妻になるが(p234)、その他ならぬミヤケンが、『極光のかげに』を、刊行された当時、偉大な政治家スターリンをけがすものだとして、ごうまんに批判したことが暴露されている(p188)。そして、著者はその批判の背後に、「ミリタリー・ファシズムとおなじ検閲と処罰の思想」がかくされているのではないかと反批判している(p189)。死者に対する批判はたくさんあるが、現存している人間、しかも親戚にあたる人物への、これはかなり思い切った批判である。この他、佐多稲子批判はことにきびしい。他方、宮本百合子、中野重治に対しては評価は暖かい。
いずれにせよ、かつて『極光のかげに』の初版が刊行されたとき、著者を居丈高に批判した手合いの誤りは、歴史によって証明された。ただ、著者のエロシェンコ研究がスターリンの言語学に対する批判になるという主張(p227)は、心情においてはわからないでもないが、論理的でないように思われる。
すべてが終わった時点から見れば、例えば抑留者が発行していた日本新聞におけるスターリンへの感謝文(p101)は、その阿諛追従ぶりに眼をおおうばかりであるにしても、あまりの馬鹿馬鹿しさに思わず抱腹絶倒させられる。その意味で、本書で語られているさまざまの事実は、もちろんきまじめでいかにも良心的な著者の意図に反してであろうが、どこか不条理劇めいたグロテスクなユーモアを漂わせている、といっては不謹慎というものであろうか。
(センター通信1996年6月号掲載)