本と批評

読書日記 書評いろいろ 出版文化

読書日記(11)「テンポ」の歴史的意義

1 「テンポ」とは何か

1934年から40年まで66号、京都にあったカニヤ書店から刊行された、当時の日本では唯一の全文エスペラントで書かれた雑誌。同書店は化学書の出版で知られ、経営者の中原脩司(1894〜1960)はエスペランティスト。

発行部数は500百部であったが、海外にも150部が送られていた。エスペラント運動の機関誌ではなく、エスペラントによって文化、社会について報道し、発信しようという、当時にあってはユニークなコンセプトで編集されていた雑誌。各号8ページのスリムな雑誌であるが、いわば1930年代の「モナート」とでもいうべき存在。

センターでは、1982年に、発禁になった第27、28号をのぞく全号を写真製版で復刻した。

2 その時代

当時は、満州事変、五・一五事件、二・二六事件、日中事変などの事件が相次 ぎ、あたかも日本がファシズムと全面戦争に向かう時代であった。共産主義運動は弾圧により壊滅し、「革命」ではなく「抵抗」が課題となっていた。人民戦線運動が危機に対する解決策として期待されていた。

同時期に京都で、さきごろ亡くなった久野収や新村猛などによって「土曜日」や「世界文化」が刊行されていた。「テンポ」も、大きくは、そうした反ファシズム文化運動の影響下にあって刊行された雑誌であるといえよう。

3 「テンポ」をめぐる人びと

初代の編集者が、当時まだ京都大学の学生であった服部亨(1911〜?)、彼のあとを継いだのが、やはり京大出身の若い建築技師であった野島安太郎(1906〜1989)である。服部は、戦後はエスペラントから遠ざかったが、野島は戦後、宮沢賢治の作品を始め、多数の日本文学のエスペラント訳などの業績を残した。ほかにも、当時、京都とその周辺に住んでいた若いエスペランティストたちが編集に協力していた。

SATの創立者のランティ(1879〜1947)も、ヨーロッパの政治状況やエスペラント運動のありかたに絶望してフランスを去り、日本に1年ほど住んだときに関わりを持った。

4 その内容

政治、社会についてはもとより、文学、芸術、自然科学など、幅広い分野にわたる記事が掲載されている。海外の文化状況については、トーマス・マン、リオン・フォイヒトワンガーなどの、日本については三木清、美濃部達吉、武谷三男などの論文のエスペラント訳が掲載されている。

また、エスペラントについて目を引くのは、雑誌や書籍について、こまめに書評が掲載されていることである。編集者の知的な関心のありようを示すものとして注目される。ランティの論文もある。

しかし、政治状況がきびしさを増すにつれて、多少なりとも体制に批判的な記事は掲載を許されず、次第に後退戦を強いられていくことになる。

5 復刻版出版まで

出版会では、出版にあたり、エスペラント運動史研究家のウルリッヒ・リンス氏(刊行当時、ドイツ学術交流会東京事務所長として日本在住)が所蔵されていたバックナンバーを拝借し、欠本は日本エスペラント学会所蔵のものなどを借用した。

リンス氏は、『危険な言語』の著者として有名。同書は、はじめ、エスペラント版が1973年に京都で刊行され、のち大幅に内容を増補改訂した日本語版が、栗栖継訳で1975年に岩波新書より刊行され、さらに充実したエスペラント版が1988年にドイツで刊行された。

リンス氏の「テンポ」のコレクションは、刊行当時に野島氏が送付していたオランダ在住のエスペランティストのテオ・ユング氏から、後年リンス氏が譲り受けたもの。

復刻版は、高槻市で開かれた関西エスペラント大会にあわせて刊行され、新聞で大きく報道された。

6 今、テンポを読む

「テンポ」は、無論、それ自体として、エスペラント運動史の貴重な資料であるが、エスペラントと時代との関わりを考えるのに、これ以上の素材はない。読むほどに、エスペランティスト=編集者たちの時代に対する緊張感がひしひしと伝わってくる。エスペラントを通して世界と関わること、世界を「編集」することの意味を考えさせる。弾圧によって廃刊させられてから60年になろうとしているが、 「テンポ」は決して古くなっていない。その軌跡は、現代を生きる私たちにとっても無縁ではない。

7 参考文献

・野島安太郎『中原脩司とその時代』。リベーロイ社、2000年。
「テンポ」の編集者のひとりであった野島氏が「モバード」に1980年9月号から1983年8月号まで31回にわたって連載された回想に、氏の没後、続稿断片、竹内義一氏による解説、中原脩司年表、カニヤ書店出版録、野島安太郎の経歴などを付して刊行。貴重な歴史的ドキュメントである。
・同「『テンポ』復刻版の読者に」
「テンポ」復刻版に収録。エスペラント書き。
・ウルリッヒ・リンス「TEMPO inter 1934~1940」
同上。
・坪田幸紀『葉こそおしなべて緑なれ』。リベーロイ社、1997年
「テンポ」についての直接的な言及はないが、在日中のランティの生活と心境を具体的な資料によって詳細に跡づける。また野島安太郎への追悼文も収録されている。
・伊藤俊彦「ランティと同時代のエスペランティストたち」
「モバード」に1986年11月号から1987年9月号まで10回連載。来日中のランティの思想と行動を、同時代の政治・思想状況との関わりで論じたものであるが、「テンポ」についても言及している。

←前を読む | →次を読む | ↑目次へ