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読書日記(13)「ソ連からロシアへ」

Halina Gorecka kaj Aleksander Korjenkov : Esperanto en Ruslando, Jekaterinburg : Sezonoj, 2000

本書は、質の悪い用紙に細かい字で印刷された、40ページ足らずの片々たる小冊子である。しかし、ロシアがソビエト連邦となり、再びロシアに戻るという歴史のなかでのエスペラント運動を圧縮して記述した、密度濃い本である。本書を入手したのはいつのことだったか、もうずいぶん長く手元にあるが、思い立っては少しずつ読むものの、なかなか通読できなかった。なぜだろうか。そのあいだの歴史の巨大な転変を思い、つい圧倒されたのだろうか。

冒頭、他ならぬザメンホフがロシア帝国臣民として登場する。表紙に掲載された第1回ロシア・エスペラント大会(1910年)での記念写真では、ツァーの肖像を背景に、最前列中央におさまっている。当時のポーランドは帝国ロシアの版図の一部だったからだ。この大会の有名な開会演説では、彼はロシアを nia regno と呼び、自らを Ruslandano と呼んでいる。もっとも、これはロシア人ということではなく、ロシア帝国という多民族国家の成員というほどの意味なのであろうか。

やがて第1次世界大戦が始まる。シベリアの捕虜たちのあいだでエスペラント運動が盛んとなり、ユリオ・バギーが活躍したことなどが語られる。

1917年、ロシア革命が勃発し、ロシアのエスペラント運動は大きく変質する。リンスの『危険な言語』などでお馴染みのソビエトのエスペラント運動の歴史、SEUの成立、SATとの対立・抗争、skismo などが記述される。政治のただなかで、さまざまな組織が興亡を重ねる。

しかし、世界革命のスローガンが放棄され、一国社会主義路線が支配的になるにつれて、エスペラント運動はその存立の根拠を失い、やがて、1937年から1938年にかけての大粛清で、多くのエスペランティストがそれに巻き込まれる。いったんは対立する陣営に勝利した者も、やがてもっと大きな力によって抹殺されていく。巻末の人名データを見ると、ドレーゼンやネクラーソフ、ヴァランキンを初めとして、この2年のいずれかが没年となっている人が多いのに、今さらながら胸をつかれる。

戦後もエスペラント運動は政治に翻弄される。スターリンの死、そしてスタ−リン主義批判、SEUの再建やサミズダートの発行などが語られる。

戦後のバルト三国のエスペラント運動にも言及されていて、エストニアのタリンの Eesti Raamat の出版活動のことなどが語られている。そういえば私も、ここから発行された本を何冊か読んだことがあった。ぐにゃぐにゃのビニール表紙の正方形に近い本が多くて、詩集や、ナチス占領下の人々の苦しみをえがいた小説などがあり、内容にも独特のかげりがあったように記憶している。当時、ソ連の共和国であったために、バルト三国は、独自の歴史と伝統を持つにもかかわらず、世界の政治や文化においては、およそ忘れられた存在であったが、しかし、こうしたエスペラントによる出版活動を通じて、静かにその声を世界に投げかけていたのだ。

やがて、ソ連が崩壊し、エスペラント運動もまたまた変貌してゆく。ただ、このあたりになると、現在に近いせいもあるのか、普通のエスペラント運動に近づいたせいなのか、組織の盛衰が記述の中心になって、読んでいても、語られている内容が頭に入ってこない。要は、あまりおもしろくない。

さきに触れたリンスの『危険な言語』を始め、サハロフの『100パーセント・エスペランティストの回想』、それから、ランティ(SAT)やブロンステイン(SEJM)の著作など、ロシア、あるいはソ連におけるエスペラント運動について書かれた本はたくさんあるが、このように1世紀余りの歩みを通観した本は、少なくとも私には初めてであった。

ソ連崩壊から10年あまりが経過したが、ロシアが再び大国となって、世界の政治、思想に大きな影響を与える日が再び訪れるとは思えない。本書は、ロシアが世界史上で政治的にも思想的にも巨大な存在だった時代のエスペラント運動の歴史である。


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